ルートヴィヒ・オットー・ツー・ザルム
ルートヴィヒ・オットー・ツー・ザルム(Ludwig Otto Fürst zu Salm, Wildgraf zu Daun und Kyrburg, Rheingraf zum Stein, 1674年10月24日 - 1738年11月23日)は、ドイツの諸侯。第5代ザルム侯(在位:1710年 - 1738年)。 生涯神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世の侍従長だったザルム侯カール・テオドールとその妻でプファルツ=ジンメルン公エドゥアルトの娘であるルイーゼ・マリーの間の長男として生まれた[1][2]。1700年7月20日、ナッサウ=ハダマール侯モーリッツ・ハインリヒの末娘アルベルティーネ・ヨハネッテ(1679年 - 1716年)[3]と結婚し、間に3人の娘をもうけた。
1723年、叔母のコンデ公妃アンヌの死後、曾祖父マントヴァ公カルロ1世が1608年に入手したフランスのアルシュ公領の相続をめぐり、ルートヴィヒ・オットーは義弟のウルゼル公コンラッドと係争したが敗訴し、公領はウルゼル家に継承された[4]。 1738年アンホルト城で没し、ザルム侯家本家は断絶した。分家筋で娘婿のザルム=ホーフストラーテン伯ニコラウス・レオポルトが義父の所領と資産を継承し、1739年ザルム=ザルム侯位を授けられた。 引用
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