ルキウス・カニニウス・ガッルス
ルキウス・カニニウス・ガッルス(ラテン語: Lucius Caninius Gallus、生没年不明)は紀元前1世紀中期の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前37年に執政官(コンスル)を務めた。 出自ガッルスはプレブス(平民)であるカニニウス氏族の出身。氏族で正規執政官となったのは、彼が最初である。父は紀元前56年の護民官ルキウス・カニニウス・ガッルスである。母方の祖父はガイウス・アントニウス・ヒュブリダであり[1]、したがってマルクス・アントニウスは大叔父になる。小アントニアやクレオパトラ・セレネ2世などのアントニウスの子とガッルスははとこということになる。 経歴遅くとも紀元前40年までにプラエトル(法務官)を務めたと思われる[2]。紀元前37年にはマルクス・ウィプサニウス・アグリッパと共に、執政官に就任した[3]。 ガッルスはラテン語のエレギア詩人セクストゥス・プロペルティウスのパトロネスであったと思われる[4]。 家族ガッルスには同名の息子がおり、紀元前2年に執政官となった。 脚注参考資料古代の資料
研究書
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