ルイ・ド・ロレーヌ(Louis de Lorraine, comte d'Armagnac, 1641年12月7日 - 1718年6月13日)は、ブルボン朝時代のフランスの宮廷貴族、廷臣。アルマニャック伯。
生涯
アルクール伯アンリとその妻のマルグリット・フィリップ・デュ・カンブの間の長男として生まれた。父の死後、その王室厩舎長の職を引き継いだ。1660年、ヴィルロワ公ニコラ・ド・ヌフヴィルの娘カトリーヌ・ド・ヌフヴィルと結婚し、間に14人の子女をもうけた。死後、息子の1人が修道院長を務めるパリ南郊のロワイヨモン修道院(英語版)(ヴァル=ドワーズ県アニエール=シュル=オワーズ(英語版)に埋葬された。
子女
- アンリ(1661年 - 1713年) - ブリオンヌ伯
- マルグリット(1662年 - 1730年) - 1675年初代カダヴァル公爵ヌノ・アルヴァレシュ・ペレイラ・デ・メロと結婚
- フランソワーズ(1664年生、夭折)
- フランソワ・アルマン(1665年 - 1728年) - ロワイヨモン修道院長
- カミーユ(1666年 - 1715年) - シャミイ伯
- アルマンド(1668年 - 1681年)
- イザベル(1671年生、夭折)
- フィリップ(1673年 - 1677年)
- マリー(1674年 - 1724年) - 1688年モナコ公アントワーヌ1世と結婚
- ルイ・アルフォンス(1675年 - 1704年) - マラガの海戦で戦死
- シャルロット(1678年 - 1757年)
- アンヌ・マリー(1680年 - 1712年)
- マルグリット(1681年生、夭折)
- シャルル(1684年 - 1751年) - アルマニャック伯
脚注