ルイサ・デ・グスマン
ルイサ・デ・グスマン (Luisa de Guzmán, ポルトガル語表記:Luísa de Gusmão、1613年10月13日 - 1666年2月27日)は、ポルトガル王ジョアン4世の王妃。 生涯サンルーカル・デ・バラメーダ(カディス県)で、スペインの第7代メディナ=シドニア公アロンソ・ペレス・デ・グスマンの孫娘(第8代公爵フアン・マヌエルの娘)として生まれた。ブラガンサ公ジョアンと結婚した。 ルイサは男勝りの女性で、1640年のポルトガル再独立の際には、弱腰になりかけた夫を奮い立たせて反乱側に付かせた。スペインに対抗してポルトガル王・王妃になったら、命を狙われるだろうとの警告に対して、彼女は「一生を公妃で終わるより、一日だけの王妃のほうがましです」と言ったという。 1641年にジョアン4世を狙った暗殺事件が未遂に終わると、首謀者とされたカミナ公ら貴族を処刑するよう進言したという。 ジョアン4世の死後は、息子アフォンソ6世が継いだが、成年に達しておらず、また情緒障碍もあったため、ルイサが摂政となった。ルイサは、カステロ・メロール伯の陰謀の標的にされた。内外ともスペインがあの手この手で妨害を仕掛けてくる中、ルイサはイングランドとの同盟に成功し、ポルトガル独立の承認を各国から取り付けることになった。以後、彼女はポルトガルの実権を掌握し、息子に引き継ぐまで辣腕をふるった。 多くの絵画で、頭部に白いしまとして描かれているが、ルイサには尋常性白斑があったという。 子女
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