ラシッド・タハ
ラシッド・タハ(Rachid Taha、アラビア語: رشيد طه、1958年9月18日 -2018年9月12日)は、フランスの歌手。アルジェリアのオランで生まれた。「ラシッド・ター」と表記されることもある。 来歴アルジェリア戦争まっただ中の1958年にオランで生まれ、10歳で両親とともにフランスに移住、物心ついてからはリヨン郊外で暖房工場の工員や、医学事典の訪問販売などをしていた。 18歳で家を出て、移民のたむろするリヨンのナイトクラブに出入りし、1982年にアラブ・ロック・バンド「カルト・ド・セジュール」の歌手としてデビューした。バンド名は「滞在許可証 (グリーンカード)」を意味し、移民の怒りなどをニュー・ウェイヴ、パンク、レゲエ、ファンクなどを盛り込んだロックに乗せて、アラビア語で歌っていた。グループは先鋭的な音楽性で注目を集めたが、3枚のアルバムを残し、1989年に解散した。 1989年のうちにソロ歌手として活動を開始し、1991年にアルバム『バルベス』を発表。続く1993年のセカンド・アルバム『ラシッド・ター』では、カルト・ド・セジュールのアルバム『アラブマニア』以来となるスティーヴ・ヒレッジがプロデュースを担当。ヒレッジは、タハのアルバム9枚で音楽プロデューサーを務めている。 1998年には、パリのベルシー劇場にて1万6千人を集めた一大ライ・コンサート「アン・ドゥ・トロワ・ソレイユ (1,2,3 Soleils)」を実現させた。このライブは「ライの帝王」ハレド、「ライの小さな王子様」フォーデルと合同で行われ、当日の模様を収めたライブ・アルバムは60万枚以上も売れた[1]。 2018年9月12日午前、就寝中に心臓麻痺で死去。59歳没[2]。 ディスコグラフィスタジオ・アルバム
ライブ・アルバム
コンピレーション・アルバム
カルト・ド・セジュール
脚注
外部リンク |