ヨヴァン・ヨヴァノヴィチ (スーパーセンテナリアン)

ヨヴァン・ヨヴァノヴィチ(Jovan Jovanović、1906年9月16日 - 2016年10月1日)は、ボスニア・ヘルツェゴビナスーパーセンテナリアン。同国内の最高齢記録を保持している長寿の男性。セルビア人男性としても最高齢記録を保持している[1]ヨヴォ・ヨヴァノヴィチ(Jovo Jovanović)と書かれる場合もある。

略歴

1906年、モンテネグロ公国(現モンテネグロ)のヴィルパザール英語版の貧しい家庭に生まれる[2]。父親は第一次バルカン戦争の時にアメリカから来たが、第一次世界大戦中に姿を消した[2]。幼い頃より学校教育に興味を持っていたという[2]1934年セルビアベオグラード(当時のユーゴスラビア王国)で文学とロシア語を学び、ベラネ体育館で働いた。1943年に結婚し、ボスニアに引っ越した。二人に子供はいなかった[3]第二次世界大戦中はポドゴリツァに暮らしていたが、戦争中に妹は殺害された[3]。戦後はフォチャギムナジウムの校長となり[2]、並行しロシア語と哲学の教授として働いた[4]。戦後まもなくして逮捕されたが、出獄後にプリェヴリャの体育館で働き[2]、その後はまたフォチャとサラエヴォで働いた[2]1957年からはサラエヴォの大学図書館で定年まで働いた[2]キリスト教哲学、地理学歴史学教育学などにおいて、人生の間に200を超える論文を出版したという[2][5]ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の発生時にアパートが取り壊され避難所生活を余儀なくされたが[2]、1993年の砲撃で足に重傷を負ったが、生き延びたという[2]。晩年はペータル2世ペトロヴィッチ・ニェゴシュ英語版の詩と戯曲、Gorski vijenacセルビア語版について研究していたが[2]、1996年にサラエヴォの老年学センターに移り住んだ[6]

2016年9月に110歳の誕生日を迎え、同年10月1日に死去。110歳15日没[4][5]

脚注

  1. ^ Sofić, Ibrahim (2014年9月8日). “Sretan i duhovit u 108. godini života” (ボスニア語). balkansaljazeera. 2022年7月29日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k Jovo na jesen puni 110, dobrog je zdravlja, piše eseje” (セルビア語). NOVOSTI (2016年2月23日). 2022年7月29日閲覧。
  3. ^ a b Čika Jovo je preživio pet ratova i logore, ali i doživio 109. godinu” (クロアチア語). Klix (2016年1月1日). 2022年7月29日閲覧。
  4. ^ a b Najstariji Sarajlija preminuo u 110. godini”. RTS (2016年10月6日). 2022年7月29日閲覧。
  5. ^ a b U 110. godini preminuo čika Jovo, najstariji korisnik Gerontološkog centra Sarajevo” (クロアチア語). Klix (2016年10月4日). 2022年7月29日閲覧。
  6. ^ Mihić, Velibor (2016年2月25日). “Starina Jovo Jovanović broji 110 godina i piše eseje” (セルビア語). Bašta Balkana Magazin. 2022年7月29日閲覧。