ヨハン・カジミール (アンハルト=デッサウ侯)
ヨハン・カジミール(Johann Kasimir von Anhalt-Dessau, 1596年9月7日 - 1660年9月15日)は、アンハルト=デッサウ侯(在位:1618年 - 1660年)。アンハルト=デッサウ侯ヨハン・ゲオルク1世とその2番目の妻でプファルツ=ジンメルン公ヨハン・カジミールの娘であるドロテアの間の最初の息子として生まれた。 生涯1608年から1609年まで、ヨハン・カジミールは従弟でアンハルト=ベルンブルク侯世子のクリスティアン2世とともにジュネーヴに留学している。1615年に異母兄ヨアヒム・エルンストの早世によって父の後継ぎとされ、1617年に父の創設した「実りを結ぶ会」に入会した。1618年に父が死ぬと侯位を継いだが、国務はもっぱら宮廷の顧問官たちに任せ、狩猟に熱中する生涯を送った。 1652年10月4日の狩猟事故により、死ぬまでベッドで暮らすことを余儀なくされた。侯爵の無聊を紛らすため、高名な詩人・作家のフィリップ・フォン・ツェーゼンがデッサウ宮廷に雇われている。 子女1623年5月18日、ヘッセン=カッセル方伯モーリッツの娘アグネス(1606年 - 1650年)と結婚し、間に6人の子女をもうけた。
1651年7月14日、叔父のアンハルト=ベルンブルク侯クリスティアン1世の娘ゾフィー・マルガレーテ(1615年 - 1673年)と再婚したが、間に子供は生まれなかった。
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