ヤシガニ
ヤシガニ (椰子蟹、Birgus latro) は、軟甲綱十脚目オカヤドカリ科に分類される甲殻類。本種のみでヤシガニ属を構成する[4]。本種はカニではなく、ヤドカリのなかまである。陸棲甲殻類のみならず、陸上生活をする節足動物全体から見ても最大種である[6]。 分布インド洋、西太平洋の熱帯域の島嶼[1]。インド本土では絶滅したと考えられ、オーストラリア、チリ(イースター島)、マダガスカル、モーリシャス、レユニオンでは絶滅[1]。 インド洋ではクリスマス島が最も保護されたヤシガニの生態系を維持しており、セーシェルの島々、アルダブラ、グロリウス、アストーヴ、アサンプション、コスモレドに生息している。西太平洋のクック諸島のプカプカ、スワロウ、マンガイア、ゴロゴロ、タクテア、マウケ、アティウ、それにパルマーストン等の島にも生息している。インド、インドネシアの大型の島(ボルネオ島など)、オーストラリア、マダガスカル、モーリシャスなどといった分布の空白地帯があり、これは沿岸部に生息する大型の捕食者や人間による影響だと考えられている[1]。 成体は水中で長時間生存できず、泳いで海を渡れないため、幼生体として海にただよう間に他の島々にたどり着いたとされている。しかし、28日間の幼生期の間に全ての島に到達することは不可能であると考える人もおり、漂流物に乗って他の島にたどり着いたのではないかとする人もいる。 概要日本ではその名前や言い伝えから、「ヤシの木に登りヤシの実を落として食べるカニ」としてのイメージが定着している。実際には、ヤシガニの食性は口に入るものなら腐敗した死肉でも食べる雑食性で、必ずしもその主食にヤシの実があるわけではない。ヤシの実を食すことは確かだが、実を切り落とすために木に登る習性も確認されておらず、上記のイメージは口述伝承から生まれた誤解である(食餌参照)。 強力な鋏脚でヤシの実の硬い繊維も切り裂く事が出来る。銀食器や鍋などきらきらとした物を持ち去ることから、英語では Robber Crab (泥棒蟹)あるいは Palm Thief (椰子泥棒)などと呼ばれることもある。若いヤシガニは貝殻の中にその身を隠すこともある。生息域がインド洋の最西端からミクロネシアまで広がっているため、様々な名前で知られており、グアムではアズズ(Ayuyu)と呼ばれ、その他の地域ではウンガ、カヴュ等と呼ばれることがある。生息する地域により様々な色をしており、明るい紫色から茶色まである。 形態雄は雌より大きく体長は40センチメートルを超え、脚を広げると1メートル以上にもなり、4キログラム以上に成長する。タカアシガニには及ばないものの、最大級の大きさである。 2本の前肢は巨大なハサミになっている。沖縄美ら島財団の研究グループが2016年11月に国際学術雑誌「PLOS ONE」に掲載した研究成果によると、29個体を調べたところ、ヤシガニのはさみの挟む力は体重の約90倍であることが分かった[7]。これを海外で見つかった最大級の体重4kgクラスの個体に当てはめると337kg・fとなり、甲殻類最強で、ライオンの噛む力(約300kg・f)にも匹敵する[7]。前肢の次に並んでいる3対の肢は小さなハサミになっており、陸上歩行に適した形になっており、食べ物を扱うことも出来る。最後の1対は非常に小さく、歩行ではなく鰓の掃除に使われる。この肢は折りたたまれて鰓室の中に入っているため、外部からは見えない。垂直にヤシの木を登ることも出来、沖縄においてよく目撃されるのは、アダンの木に登ることである。木に登るときも降りるときも、頭を上に向けている。 腹部は普段は頭胸部下側に曲げて折りたたむ形で行動する。腹部にある鰓室は水分を溜め込むことに非常に適しており、これによりヤシガニは多湿な環境であれば、空気中の水分を鰓室に取り込むことにより鰓で十分に呼吸することができる。水中では鰓室と鰓が水分で飽和してしまうため、呼吸することができない。このため、ヤシガニは「湿度が高ければ陸上で長時間活動できるが、水中では長時間活動できない」という、陸上生活に特化した甲殻類である。 生態ヤドカリの仲間ではあるが、その大きさのため成体は体に見合う大きさの貝殻を見つけることは困難である。若齢個体は、カタツムリの殻などを用い、成長するにつれて、ヤシの実などを使うこともある。他のヤドカリとは違い、成体は腹部がキチン質や石灰質でおおわれ硬く、カニのように尾を体の下に隠すことで身を守る。腹部が硬い物質でおおわれていることで、地上でくらすことによる水分の蒸発を防ぐ。定期的に腹部を脱皮する必要があり、再び腹部が硬くなるまでは30日ほどかかり、この間は体に水分を十分に保つことができないため、水分の豊富な環境に身を隠す。 ほぼ完全な陸上性で、成長すると産卵時を除いて水に入ることはない。水分が多く湿度の高い場所の岩の割れ目や地下にハサミを使って掘った穴を住処とし、日中は天敵と直射日光を避けるために割れ目や穴の中に隠れており、雨や霧の日でないかぎり外に出ることを避ける。ただし生息数が多い地域では、日中にも食べ物を探しに現れることもある。巣の中で休んでいる時は、入り口をハサミでふさぎ、巣の中の環境、特に湿度を一定に保つようにする。ヤシガニはほぼ陸上生活に適応しているため、海岸線から6キロメートル以上も離れたところで発見されたこともある。 寿命は50年程度と考えられている。 主にヤシの実の胚乳であるコプラやイチジクなどの果物を食べるが、雑食性で、口に入れられるものなら何でも食べる。沖縄の先島では、熟したアダンの実をばらばらにして食べる。葉や腐った果物、カメの卵、動物や土葬された人間の遺体も食べる。オカヤドカリ同様、共食いもある。現在は行っていない養殖場での経験では、脱皮するヤシガニを他のヤシガニが攻撃するという。必要なカルシウムなどは、他の動物の殻を食べることで補っていると推測される。 生まれてまもないウミガメの子供のように逃げ足が遅いものも対象であり、2017年には生きた海鳥の寝込みを襲って食べる様子が報じられている[8]。 個体間で食べ物を取り合う場合、手に入れた食べ物はその場で食べずに巣に持ち帰って食べる。 食物を得るため、または暑さや天敵を逃れるために木を登る。アダンの木に登っているのはよく目撃される。名の由来の通り、熟したヤシの実にハサミで穴を開け、中身を食べる。ヤシの実を食べているのを目撃した人の中には、木に登って実を切り落とし、地上に落ちたところを食べると考えた人もいる。しかしドイツ人の科学者ホルゲル・ランプフによると、ヤシガニは木の上でヤシの実を食べようとして偶然切り落としてしまうだけであり、そのような知性はないとする。 5月から9月の間に陸上で頻繁に交尾を繰り返す。7月と8月に繁殖はピークを迎える。雄と雌は交尾のためにもみ合い、雄は雌を仰向けにして交尾を行う。全ての行為は15分ほどかかる。交尾後間もなく、雌は自分の腹部の裏側に卵を産み付ける。雌は数ヶ月間卵を抱えたまま生活し、10月か11月の満潮時、波打ち際に入水し、孵化したゾエアと呼ばれる幼生をいっせいに放出する。 幼生は28日ほど海中をただようが、その間に大部分は他の動物に捕食される。その後海底に降りて他のヤドカリの仲間と同様に貝殻を背負ってさらに28日ほど成長を続けながら海岸を目指す。上陸後は水中で生活できる機能を全てを失う。上陸後も甲長が1cm程度になるまでは他のヤドカリの仲間と同様に貝殻を背負って生活し、幼体期を終えると腹部の外皮が角質化し、貝殻が必要なくなる[9]。繁殖ができるようになるまでには4年から8年かかるとされ、甲殻類の中では例外的に長い期間である。 人間との関わり太平洋の島々では高級食材の一種で、回春薬であるとされている。雌の卵と腹部の脂肪分は特に重宝されている。ロブスターのように茹でたり蒸したりして食べる。島によって調理法は様々で、ココナッツミルクで茹でる地域もある。日本では、沖縄県の一部地域でヤシガニを食べる習慣がある。沖縄の宮古島の一部の地域ではヤシガニを夏に捕えて茹でて食べる。 本種そのものに毒性はないが、本種が餌として食べたものによっては毒を蓄えることがあり、宮古島以南で中毒症状が発生した例が報告されている。中毒症状は嘔吐・吐き気・手足の痺れなど。死亡例もある。そのため、素人が野生種を捕まえて自ら調理することは大変危険である。毒は沖縄にも自生する樹木・ハスノハギリ Hernandia nymphaefolia の果実に由来すると考えられており、一部の個体だけが毒を持つか説明がつく。腐敗物、死肉、時には人間の出した生ゴミまで食べている食性から、体内に有害な病原菌やウイルスを取り込んでいるため、調理した個体の生息環境によっては、病原性の食中毒を起こすとされている。まだ研究が進んでいないが食中毒はシガテラ毒が原因である可能性も指摘されている。沖縄では、毒を持ったヤシガニは茹でても赤くならないという迷信がある。料理店では、赤くならない個体を廃棄するため安全だと説明している。しかし赤く変色する個体が安全であるという科学的根拠はない。甲殻類を加熱すると赤くなるのは甲羅に含まれるカロチノイド系色素のアスタキサンチンの反応で、毒の有無とは関連性がなく毒を持っていても茹でれば赤くなる。 食用の乱獲、海岸開発による生息地の破壊、農作物を食害するとみなされることによる駆除、交通事故、人為的に移入されたネズミ類やブタ・アリ類などによる捕食などにより生息数は減少している[1]。気候変動での海水面上昇による、小型の海洋島や環礁の水没による影響も懸念されている[1]。
近年では、沖縄本島で絶滅したとされていたが、2006年から2010年まで国営沖縄記念公園で行われた調査では生息が確認され、推定生息数は754匹とされた。[10] 観光開発が希少動物の生息域を守った皮肉な事例である。小笠原諸島でも稀に見つかることがあるが、繁殖はしていないと考えられている。 十分に成長していない個体はペットとして飼うことも出来るが、ハサミの力がとても強力なため、檻を壊して逃げ出さないように注意が必要である。狭い所に潜る力も強く、よく逃げ出す。熟したパパイアが最もよい食料であるが、雑食であるので軟らかいものは何でも食べる。元々南国の動物なので、気温が低くなる寒い時期のある地域では飼育はできない。気温が高い環境であっても、湿度の低い環境では呼吸が困難になるため、生存できない。生息している熱帯地域以外でこの高温多湿環境を維持することは難しく、水中生活型の海棲生物よりも用意するべき飼育環境の維持が難しい。飼育環境下ではヤシガニが脱皮の前後に必要な環境条件、例えば適切なタイミングでの海水の吸水や湿度の高い深い巣穴の中での待機といった行動を満足させるような環境を用意することは著しく困難であり、脱皮時期が巡ってきたときに死ぬことが多い。沖縄の飼育場での経験でも、その時に共食いするという。成体になるまでに非常に長い年月がかかる。現在、日本ではアクアワールド・大洗(茨城県)、鳥羽水族館(三重県)、すさみ町立エビとカニの水族館(和歌山県)、美ら海水族館(沖縄県)で飼育されているほか、多摩動物公園で飼育されたことがある。個人での飼育では、先島で捕獲したヤシガニを本土で半年養った記録がある。 出典
書目
外部リンク
|