本記事モスクワ総主教・モスクワ府主教の一覧は、歴代のモスクワ総主教、モスクワ府主教を扱う。
モスクワ総主教はロシア正教会の首座主教であるが(2002年以降ロシア古正教会も総主教座を保持している)、1321年から、総主教座が成立する1589年までは府主教座がモスクワにあった。さらにモスクワ総主教座が空位、廃止されていた時代(1700年 - 1917年)にも、モスクワには府主教座が置かれていた。
1321年から1461年までは「キエフおよび全ルーシの府主教」がそのタイトルを変更しないままモスクワに居住していたが、この時代の府主教も本一覧で扱う。
本一覧では、モスクワ主教区を一時的に管轄したのみ(временно управляющий)の者は含めない。ただし選出はされ実質的な務は果たしていたものの、正式な着座はなされなかった者(нареченный)については記載する。また、列聖の有無を示すため、聖人となっている総主教・府主教の場合、日本正教会転写の欄に「聖」の称号を付す。
ロシア正教会
「キエフおよび全ルーシの府主教」
「キエフおよび全ルーシの府主教」はそのタイトルを変更しないまま1299年からウラジーミルに居住していたが、さらに1321年からはモスクワに居住していた。1461年までは、「キエフおよび全ルーシの府主教」のタイトルが維持されていた。
モスクワおよび全ルーシの府主教
モスクワおよび全ルーシの総主教
モスクワ府主教
ピョートル1世は1700年にアドリアン総主教が没した後、後任の総主教の選立を許さなかった。総主教代行ステファン・リャザンが没すると総主教座を廃止し、ロシア正教会の最高機関としてツァーリの統括する聖務会院(シノド)を置いた。2月革命後の1917年までモスクワ総主教座は復活せず、モスクワには府主教が置かれるのみだった。
モスクワおよび全ルーシの総主教
ロシア古正教会のモスクワ総主教
関連項目
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