ムアンナコーンシータンマラート郡座標: 北緯8度25分12秒 東経99度57分48秒 / 北緯8.42000度 東経99.96333度
ムアンナコーンシータンマラート郡(ムアンナコーンシータンマラートぐん)は、タイ南部にある郡(アンプー)。ナコーンシータンマラート県の県庁所在地(ムアン)でもある。 名称ナコーンシータンマラートとは「ダルマラージャの治める都」という意味である。地元民による愛称はナコーン。一方でマレー語でリゴールとも呼ばれていたが、ここから日本語における六昆の語が派生した。 歴史ナコーンシータンマラートには3世紀頃からインドからの入植が見られ、タンブラリンガ王国(単馬令国)の首都リゴールとして栄えた。9世紀から11世紀にかけてはドヴァーラヴァティ王国の勢力が及ぶようになり、大乗仏教が信仰された。12世紀頃シータンマソッカラート王により、ナコーンシータンマラート王国(タンブラリンガ国)が成立。この王国は上座部仏教を国教とした他、一時的にマレー半島全域を勢力下に置くほどの勢力を誇った。 13世紀にはスコータイのラームカムヘーン王によりスコータイ王国の勢力の元に置かれた。当時、ナコーンシータンマラートではすでに上座部仏教が普及しており、マレー半島における仏教の中心地であり、一時期は12000人の僧がいたとも言われる。このため当時はムアンプラ(僧侶の街)ともいわれ、スコータイからも僧侶の派遣を求められるほどであった。この時、仏教教育の中心をなしたのはワット・プラマハータート(仏教寺院)である。地元の王統史によればこの寺院は311年の建設と言われるが、歴史学者は13世紀頃に建設されたとしている。 ナコーンシータンマラートはアユタヤ王朝下ではマレー半島貿易でにぎわう一方で、たびたび離反するマレー系諸王朝(パタニ王国など)に対する防衛都市として機能した。山田長政の左遷先もナコーンシータンマラートであり、ここでパタニ軍と交戦した後死亡している。 ナコーンシータンマラートはラーマ5世(チュラーロンコーン)のチャクリー改革の後、周辺の地域と共に県(チャンワット)を形成。県庁所在地となった。 地理県西部の山岳地帯に源を持つ多くの川が形成した平地に位置し、西部は大まかに山岳地帯、東部は海に面している。 国道403号線が国道41号線とトランとを結んでいる。北方面には国道401号線が出ておりスラートターニーと接続している。南には408号線が出ておりソンクラーと繋がっている。タイ国有鉄道南本線ナコーンシータンマラート支線の終点(ナコーンシータンマラート駅)があり、またナコーンシータンマラート空港も存在する。 経済市内の主な産業は農業と商業であり、農業は米の生産が盛んである。 行政区分ナコーンシータンマラート市は16のタムボンに分かれ、その下位に114の村がある。市内には4つの自治体(テーサバーン)があり以下のようになっている。
また郡内には13のタムボン行政体が設置されている。なお以下は市内のタムボンの一覧である。うち、表でかけている番号のタムボンは分離し1994年にプラプロム郡となったタムボンである。
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