マーク・ノールズ
マーク・ノールズ(Mark Knowles, 1971年9月4日 - )は、バハマ・ナッソー出身の男子プロテニス選手。ダブルスのスペシャリストとして知られ、長年の間カナダのダニエル・ネスターとペアを組んで活躍した。ATPツアーでシングルスの優勝はないが、ダブルスで55勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス96位、ダブルス1位。身長190cm、体重88kg、右利き。 来歴バハマ諸島が男子テニス国別対抗戦デビスカップに初参加したのは、1989年のことであった。マーク・ノールズは初参加の時からデビスカップバハマ代表選手として活躍し、2008年までデビスカップ通算41勝32敗 (シングルス23勝25敗、ダブルス18勝7敗) を記録した。1990年から1992年までは学生テニス選手としてカリフォルニア大学ロサンゼルス校に在籍し、1992年からプロテニス選手として活動を始める。 ノールズのダブルス初優勝は、1993年カナダ・マスターズで、パートナーは当時シングルス世界ランキング2位のジム・クーリエ(であった。1995年全豪オープンでダニエル・ネスターとペアを組み、初めて4大大会の男子ダブルス決勝に進出したが、ジャレッド・パーマー/リッチー・レネバーグ組に敗れて準優勝になった。それ以来、ノールズはほとんどの大会でネスターとペアを組むことになる。1995年ジャパン・オープン・テニス選手権で優勝しているが、この時はジョナサン・スタークと組んで出場した。しかし1996年の同大会では、リック・リーチと組みながらも、決勝でオーストラリアの強豪ペアのウッディーズに完敗している。1998年はネスターとのペアで、全仏オープンと全米オープン準優勝があり、なかなか4大大会ダブルス初優勝に手が届かなかった。 ノールズとネスターがようやく宿願を実現させたのは、2002年全豪オープンであった。ミカエル・ロドラ/ファブリス・サントロ組を7-6, 6-3で破った優勝は、4大大会男子ダブルス初決勝進出から7年後の長い道のりだった。こうしてノールズはバハマに初めてのテニス4大大会タイトルをもたらした選手になった。同年には全仏オープンとウィンブルドン選手権でもネスターとのペアで決勝に進出したが、全仏ではエフゲニー・カフェルニコフ/ポール・ハーフース組に、ウィンブルドンではトッド・ウッドブリッジ/ヨナス・ビョルクマン組に敗れて準優勝にとどまる。2003年全豪オープン男子ダブルス決勝では、前年と同じロドラ/サントロ組に敗れ、大会2連覇を逃した。 2004年全米オープンで、ノールズとネスターの組は4大大会ダブルス2勝目を達成する。2007年全仏オープンの男子ダブルスで、ノールズとネスターは5年ぶり3度目の決勝戦に進み、ルーカス・ドロウヒー/パベル・ビズネル組に2-6, 6-3, 6-4の逆転勝利を収めた。これで2人の4大大会ダブルス優勝は3勝となる。2人は2007年の男子ツアー年間最終戦テニス・マスターズ・カップ男子ダブルス部門の優勝を最後に、10年以上に及んだペアの解消を発表した。 ネスターとのペア解消後は、2008年と2009年はマヘシュ・ブパシと主に組んでいた。その後はマーディ・フィッシュやグザビエ・マリスと組むこともあった。フィッシュのコーチも務めた。 2009年ウィンブルドン選手権で、ノールズはアンナ=レナ・グローネフェルトと組んで優勝し、初めての4大大会混合ダブルス優勝を決めた。ウィンブルドンでは2002年の男子ダブルス準優勝が自己最高成績であったため、これはノールズにとって初めてのウィンブルドンのタイトルとなった。 シングルスでのノールズは、4大大会では2回戦止まりの成績であるが、ウィンブルドン選手権では4度2回戦に進んでいる。1995年ウィンブルドン選手権では、1回戦でマルセロ・リオス破った後、2回戦で松岡修造に1-6, 4-6, 2-6のスコアで敗れたことがあった。シングルスでは2000年12月のコスタリカ・チャレンジャー1回戦でラズバン・サバウに3-6, 2-6のストレートで敗れたのを最後にATPポイントの付く国際大会からは撤退しており、デビスカップバハマ代表としてもデビスカップ2003アメリカゾーン1回戦、対ペルー戦の1回戦イヴァン・ミランダ戦で4-6, 6-3, 1-6のスコアで途中棄権したのを最後にシングルスからは完全撤退し、2004年以後はダブルスのみに絞って活動した。 ノールズは2012年全米オープンを最後に41歳で現役を引退した[1]。 オリンピックのバハマ選手団としては、1992年バルセロナ五輪、1996年アトランタ五輪、2000年シドニー五輪、2004年アテネ五輪、2008年北京五輪の5大会連続で出場している。バルセロナ五輪ではロジャー・スミスとのダブルスに出場し、1回戦で第1シードのジョン・フィッツジェラルド/トッド・ウッドブリッジ組に敗退した。アトランタ五輪ではシングルスとダブルスの両方に出場し、シングルスは1回戦でケネス・カールセンに5-7, 3-6のスコアで敗れたが、スミスとのダブルスでゴラン・イワニセビッチ/サシャ・ヒルシュゾン組との2回戦に進出した。シドニー五輪とアテネ五輪ではマーク・マークレインとのダブルスのみの出場で、シドニー五輪では2回戦で第2シードのアレックス・オブライエン/ジャレッド・パーマー組を6-2, 6-4のスコアで下し、デビッド・アダムズ/ジョン・ラフニー・デ・ヤーガー組との準々決勝まで進んだが、アテネ五輪では1回戦で金メダルを獲得したニコラス・マスー/フェルナンド・ゴンサレス組に5-7, 4-6のストレートで敗れている。北京ではデビン・マリングスと組み1回戦で第1シードのブライアン兄弟に2-6, 1-6で敗れた。 ノールズの五輪5大会連続出場はテニス選手では7大会連続出場のリーンダー・パエス、6大会のダニエル・ネスターに次ぎマヘシュ・ブパシ、アランチャ・サンチェス・ビカリオ、ビーナス・ウィリアムズと並んで史上3位タイである。 4大大会ダブルス優勝
ダブルス成績
脚注
外部リンク
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