マレーシアの国歌

Negaraku
和訳例:我が国

国歌の対象
マレーシアの旗 マレーシア

作曲 ピエール=ジャン・ド・ベランジェ
採用時期 1957年
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マレーシアの国歌(マレーシアのこっか)では、マレーシア国歌我が国」(わがくに、マレー語Negaraku/ネガラ・ク)について記述する。

歌詞

マレー語 ジャウィ 直訳 和訳 マレー語日本語読み

Negaraku Tanah tumpahnya darahku
Rakyat hidup bersatu dan maju
Rahmat Bahagia Tuhan kurniakan
Raja kita selamat bertakhta
Rahmat Bahagia Tuhan kurniakan
Raja kita selamat bertakhta

نڬاراكو، تانه تومڤهڽ دارهكو
رعيت هيدوڤ، برساتو دان ماجو
رحمة بهاڬيا، توهن كورنياكن
راج كيت، سلامت برتختا
رحمة بهاڬيا، توهن كورنياكن
راج كيت، سلامت برتختا

My country the land where my blood has spilt
The people living united and progressive
May God bestow blessing and happiness
May our King have a successful reign
May God bestow blessing and happiness
May our King have a successful reign

我が祖国 我が血が注がれた土地よ
民が暮らす 団結と繁栄のもとに
祝福された幸福は 神より賜われし
我らが王のもと 平和な治世を
祝福された幸福は 神より賜われし
我らが王のもと 平和な治世を

ネガラク タナー トゥンパーニャダラーク
ラキャッヒドゥ ブルサトゥー ダン マジュ
ラーマ バハギア トゥーハン クルニアカン
ラジャ キタ スラマッ ブルタクタ
ラーマ バハギア トゥーハン クルニアカン
ラジャ キタ スラマッ ブルタクタ

モデル

この曲は、元はフランスシャンソン「La Rosalie」で、19世紀後半頃に東南アジアへ渡ったとされている。

1920年から1930年ごろにかけては、「Terang Boelan(トラン・ブーラン、月明かり)」という名前で大ヒットし、1937年にはインドネシアで同じ名前の映画が公開され、主題歌として歌われた。なお戦時中にインドネシア、マレーシアに従軍した日本軍の兵士の間でもよく歌われたという。

「トラン・ブーラン」は日本では戦後、渡辺はま子が歌って知られるようになり、雪村いづみ仲宗根美樹も歌った[1]1954年には松林宗恵監督の映画『トラン・ブーラン 月の光』の主題歌として雪村いづみが歌ったものが使用された(作詞:佐伯孝夫)。

1957年に「Negaraku」がマレーシアの国歌とされてからは、この「Terang Boelan」の歌詞はマレーシアで禁止された。日本でも「トラン・ブーラン」は1959年に「この曲を公然と歌うことがマラヤで禁止されている事実を考慮して」日本民間放送連盟要注意歌謡曲指定を受け[1]、渡辺、雪村、仲宗根版の他、東京少年合唱隊ストリング・レオーネ版も制度が失効する1988年まで放送禁止となるAランク指定を受け続けた[2][3]

脚注

  1. ^ a b 吉野健三『歌謡曲 流行らせのメカニズム』晩聲社 (ヤゲンブラ選書) 、1978年、119-120頁。
  2. ^ 『歌謡曲 流行らせのメカニズム』246頁。同書113頁に1978年9月5日時点のものと記載。
  3. ^ 森達也『放送禁止歌』光文社知恵の森文庫、2003年 71頁 ISBN 9784334782252

外部サイト