マルセリーノ・ルッキ
マルチェリーノ・ルッキ(Marcellino Lucchi、1957年3月13日 - )は、イタリア・チェゼーナ出身の元モーターサイクル・ロードレースライダー。 経歴20歳の時にレースを始め、その5年後の1982年にはロードレース世界選手権250ccクラスにデビューした。イタリアの国内選手権では1992年から1997年まで6年連続で250ccクラスのチャンピオンを獲得するなど高いライディング能力を持っていたにもかかわらず、GPでは体制に恵まれず、平日はごみ収集員として働く傍ら、ワイルドカード枠でイタリアでのレースを中心に参戦する年が続いた。 年間数戦の出場にもかかわらず、ルッキは地元ムジェロでは1995年から1997年にかけて毎年表彰台を獲得(1997年にはさらにポールポジションも獲得)するなどの活躍を見せた。この活躍が認められて、翌1998年にはアプリリアと開発ライダーとして長期の契約を結び、ごみ収集の仕事を辞めてプロとしてバイクレースに集中できるようになった[1]。 そして1998年第4戦、得意のムジェロでのイタリアGP、レースは雨のため中断されて2ヒート制となったが、ルッキは合計タイムでバレンティーノ・ロッシ、原田哲也、ロリス・カピロッシらを抑え、遂に初優勝を果たした。41歳にして夢を叶えたルッキは、表彰台の中央で歓喜の涙を流した[1]。 ルッキは開発ライダーを務めながら2001年まで250ccクラスに参戦を続け、その後はアプリリアのMotoGPマシン、RS CUBEの開発に専念していたが、2004年第14戦セパンで、負傷したマヌエル・ポジャーリの代役として久々にレース復帰を果たした。結果は16位とポイント獲得は叶わなかったが、「レースをエンジョイすることができた」と47歳のルッキはインタビューに答えた[2]。 ロードレース世界選手権 戦績
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