マリー・ド・クレーヴ (1426-1487)
マリア・フォン・クレーフェ(独:Maria von Kleve)またはマリー・ド・クレーヴ(仏:Marie de Clèves, 1426年9月19日 - 1487年8月23日)は、フランス王家傍系のオルレアン公シャルルの3番目の妻で、フランス王ルイ12世の母。 生涯クレーフェ=マルク公アドルフとその2番目の妻でブルゴーニュ公ジャン1世(無怖公)の娘であるマリー(1394年 - 1464年)の間の六女として生まれた。1440年11月6日にサントメールにおいて、母方の叔父のブルゴーニュ公フィリップ3世(善良公)の取り成しでヴァロワ=オルレアン家の当主シャルルと結婚した。花嫁が14歳の少女だったのに対し、花婿は49歳で老境に差し掛かっており、2人の妻を亡くした男やもめだった。しかし夫婦仲は良好だったとされ、マリーは結婚して16年間は子供が出来なかったが、その後3人の子供に恵まれた。
参考文献
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