マリーア・ディ・グラツィア・ピア・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ
マリーア・ディ・グラツィア・ピア・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ(Maria di Grazia Pia di Borbone-Due Sicilie, 1878年8月12日 - 1973年6月20日)は、両シチリア王国の旧統治者家門ブルボン=シチリア家の子孫。両シチリア王フェルディナンド2世の孫娘にあたる。全名はマリーア・ディ・グラツィア・ピア・キアラ・アンナ・テレーザ・イザベッラ・アポローニア・アデライーデ・アガタ・チェチーリア・フィロメーナ・ルーチア・クリスティーナ・アントーニア・カタリーナ(Maria di Grazia Pia Chiara Anna Teresa Isabella Apollonia Adelaide Agata Cecilia Filomena Lucia Cristina Antonia Catarina)。 生涯最後の両シチリア王フランチェスコ2世の異母弟カゼルタ伯アルフォンソと、その妻で両シチリア王族トラーパニ伯の娘であるマリーア・アントニエッタの間の第6子、三女として生まれた[1][2]。1908年11月4日にカンヌにおいて、ブラジル帝位継承者イザベル皇女の次男で、母から後継者指名を受けていたルイス皇子と結婚したが、1920年に死別した。 子女夫との間に2男1女をもうけた。
脚注
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