マニ・シン・ラワット(Mani Singh Rawat)は、英領インドの著名な探検家[注 1]。マニ・コンパス(Mani Compassi)とも渾名された。
19世紀後半のイギリスとロシアの間の「グレートゲーム」においてチベットを含む中央アジアの探査で重要な役割を果たした。
人物・生涯
マニ・シンは、英領インドのクマーウーン北部(現在のピトーラーガル県(ヒンディー語版、英語版))のチベットとの国境に近いミラム村のデブ・シン・ラワット(Deb Singh Rawat)という名の商人の家に生まれた[1][2][3]。
従弟のナイン・シン・ラワット(ヒンディー語版、英語版)、弟のキシェン・シン(英語版)も、同じくインド測量局(英語版)の大三角測量に伴う秘密裏の測量調査による地図製作に携わった著名なパンディットであった[1][3]。
脚注
注釈
- ^ インド測量局(英語版)がインド北方で秘密裏に測量調査を行うために雇った現地出身の探検家らをイギリス人は「パンディット」と呼んだ。
出典
- ^ a b Kenneth Mason, 1923, "Kishen Singh and the Indian Explorers", The Geographical Journal, Vol. LXII-July to December.
- ^ Babu Ram Singh Pangtey, 1980, "Johar Ka Itihaas (History of Johar)".
- ^ a b Peter Hopkirk, 1982, "Trespassers on the Roof of the World: The Race for Lhasa", オックスフォード大学 Press.
関連項目
外部リンク