マシュー・ハウソン
マシュー(マット)・ハウソン(Matthew "Matt" Howson 、1983年8月25日 - )は、イングランドのノーフォーク、ノリッジ出身のイギリス人のレーシングドライバー[1]。リチャード・ブラッドリーとニコラ・ラピエールと組んで出走した2015年のル・マン24時間レースのLMP2クラスで、クラス優勝を果たしている。 レース・キャリア2001年の英フォーミュラ・ルノー(冬季選手権)にマノー・モータースポーツチームで参戦してフォーミュラレースでのモータースポーツキャリアをスタートさせ、10位に入った。2002年、英フォーミュラ・フォードのジュニア選手権を始め、ランキング8位に入っている。その後、英フォーミュラ・フォードの冬季選手権に参戦し、第5戦で表彰台を獲得した。2003年、メディナ・スポーツ̚に入り、英フォーミュラ・フォードのレギュラー選手権に参戦して2回の3位と1回の2位を獲得してランキング9位でシーズンを終えた。次の冬季選手権にチームJLRで参戦して総合順位2位に入った。 2004年、英フォーミュラ・フォードの第4戦にレイ・スポーツで一部参戦した。その後、チーム・SWR・パイオニアに移籍して英フォーミュラ・BMWに参戦し、1勝を挙げて総合順位12位に入っている。2005年、英フォーミュラ・BMWへの参戦を継続し、フィルセル・モータースポーツで戦うことになり、4勝を挙げ、ランキング3位となった。英フォーミュラ・BMWのシーズン終了後に行われた「フォーミュラBMW・ワールドファイナル」(世界一決定戦)では9位に入っている。2006年、フォーミュラレースに留まり続け、フィルセル・モータースポーツに残留して、英フォーミュラ・ルノー2戦と英フォーミュラ・BMW4戦に参戦することになった。彼は英フォーミュラ・BMWで1勝を挙げた。 2007年、資金不足の為ヨーロッパでのレース参戦が出来なかった[2]。英ポルシェ・カレラカップを2戦ゲスト枠で出走している。その後、アジアン・フォーミュラ3選手権の2007/08の冬季シーズンにPTRS・レーシングで参戦し、2勝を挙げ、229-332ポイントを獲得してフレデリック・フェルフィッシュに続く総合2位の成績を挙げた。2008年はアジアGT選手権のBクラスで2戦出走して2勝した。 2年間のレース活動休止期間を経て2011年にモータースポーツに復帰した。その間、マンチェスター・メトロポリタン大学での勉学を終了した[3][2]。2011年シーズンの後半、全日本F3選手権にSGC by KCMGチームで参戦し、ランキング7位に入った。2012年チームに残留し、全日本F3選手権のNクラスで一度7位に入り、ランキング5位となった。総合のドライバー部門では、ベストリザルトが7位で、結果ノーポイントに終わった。 2013年、FIA 世界耐久選手権(WEC)のLMP2クラスにKCMGチームで参戦し、耐久レースに挑戦することとなった[2]。ル・マン24時間レースでは、ゲスト・ドライバーとして出走している。2014年、KCMGのフルシーズン(レギュラー)・ドライバーとしてWECに参戦した。リチャード・ブラッドリーとは全戦でパートナーを組むことになった。サードドライバーは、アレキサンドレ・インペラトーリと松田次生が務めることになった。ハウソンとブラッドリーは、3回のLMP2クラス優勝を挙げた。その内の2勝はインペラトーリと、残る1勝は松田と勝ち取ったものである。世界選手権では、ハウソンとブラッドリーは13位に入った。2015年、ハウソンとブラッドリーはまたKCMGでWECに参戦した[4]。サードドライバーは、ニック・タンディとニコラ・ラピエールが務めることになった。ハウソンとブラッドリーとラピエールは、ル・マン24時間レースで、LMP2クラス優勝を挙げた。WECではニュルブルクリンクのレースでもう1勝を挙げているが、そちらのレースのサードドライバーはタンディである。ハウソンとブラッドリーは総合11位の成績でシーズンを終了した。 その他ハウソンは、レースドライバーとしてだけでなく、2004年以降はドライバーのトレーナーとしても活動している[5]。2008年から2010年にかけては、ダブルR・レーシングで働いていた。2011年以降は、ハウソンはフォルテック・モータースポーツのトレーナーに就任している[3]。他にこのポジションに就いているのは、ジェイク・デニス、アレックス・リン、マシュー・パリー、オリバー・ローランド、ウィル・スティーブンスらである[3] レースの記録参戦してきた主なレース
全日本フォーミュラ3選手権
世界耐久選手権
ル・マン24時間レース
脚注
外部リンク |