マイケル・ベリー (第3代キャムローズ子爵)
ハートウェル男爵ウィリアム・マイケル・ベリー[註釈 1](英: William Michael Berry, Baron Hartwell,MBE、1911年5月18日 - 2001年4月3日)は、イギリスの新聞事業者、ジャーナリスト。キャムローズ子爵家に生まれ、兄から爵位を継承したのち、直ちに爵位一代放棄を行使した。 生涯初代キャムローズ子爵ウィリアム・ベリーとメアリー・アグネス・コーンズ(Mary Agnes Corns、生年未詳 - 1962年10月9日、トマス・コーンズの長女)の次男として生まれた[1][2][3]。 イートン校に学んだのち、オックスフォード大学クライスト・チャーチ・カレッジに進学、1933年には修士号を、1954年には学士号をそれぞれ修了した[3]。修士号取得後は、『グラスゴー・サンデー・メール』や『フィナンシャル・タイムズ』各紙の編集を務めた[1][3]。学士取得直後の1954年に出版社『アマルガメイティド・プレス』取締役に就任した[1][3]。同時に父兄が事業を行う新聞『デイリー・テレグラフ』及び『サンデー・テレグラフ』取締役兼編集長に就いて経営に参画、実業家コンラッド・ブラックが経営権を握る1986年までその地位にあった[1][3]。 1968年1月19日に連合王国一代貴族としてシティ・オブ・ロンドンにおけるピーターズバラ・コートのハートウェル男爵(Baron Hartwell, of Peterborough Court in the City of London)に叙された[1][2][3][4]。 また、兄ジョンの死去に伴ってキャムローズ子爵位を1995年2月15日に継承したが、同年3月9日に1963年貴族法に基づいて爵位一代放棄を行使した[註釈 2][1][5]。 2001年に89歳で亡くなった[1]。彼の死去により、ハートウェル男爵位は消滅、残る世俗爵位は息子エイドリアンが相続した[1][3]。 家族1936年1月7日にパメラ・マーガレット・エリザベス・スミス(Pamela Margaret Elizabeth Smith、生年未詳 - 1982年1月7日、初代バーケンヘッド伯爵フレデリック・スミスの次女)と結婚して、2男2女をもうけた[1][3]。
脚注註釈
出典
外部リンク
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