ポルトガル領黄金海岸
Costa do Ouro (ポルトガル語 )
16世紀後半の象牙海岸 (左半分)と黄金海岸 (右半分) 中央のスリーポインツ岬 の右に描かれている「La Mina」がエルミナ
ポルトガル領黄金海岸 (ポルトガルりょうおうごんかいがん)は、西アフリカ のギニア湾 の黄金海岸 (現在のガーナ )にあったポルトガルの植民地 である。15世紀から金交易・奴隷交易で栄えた。17世紀にオランダによって征服された。
歴史
ポルトガル は1482年1月21日から黄金海岸に次の拠点を設立した。
1637年8月29日、オランダがエルミナを占領した。 1642年1月9日、植民地全体がオランダ領に割譲され、オランダ領黄金海岸 の一部となった[ 1] 。
カピタン・モール
黄金海岸は小規模な植民地だったため、総督 や副王 でなくカピタン・モール が治めた。
初代ディオゴ・デ・アザンブージャ (英語版 ) はジョアン2世 の王命を受けて艦隊を率いて黄金海岸に赴き、サン・ジョルジュ砦を築くと、艦隊を本国に帰還させて自身は指揮官として現地に留まった[ 2] 。
歴代カピタン・モール(一部)
1482年 – 1485年:ディオゴ・デ・アザンブージャ(初代)
1485年 –1486年:アルバロ・ヴァズ・ペスターノ
1495 年– 1499年:ロポ・ソアレス・デ・アルベルガリア
1499年(?) – 1503年(?):フェルナン・ロペス・コレイア
1503年(?) – 1506年(?):ディオゴ・ロペス・デ・セケイラ
1519年 – 1522年:ドゥアルテ・パチェコ・ペレイラ
1522年 –1524年:アフォンソ・デ・アルブケルケ
1524年 –1525年:ジョアン・デ・バロス [ 3] :26
1526年 –1529年:ジョアン・ヴァズ・デ・アルマダ
1529年 –1532年:エステバン・ダ・ガマ
1536年 –1537年:マヌエル・デ・アルブケルケ
1632年 – 1634年:ペドロ・マスカレーニャス
1634年 – 1634年:ドゥアルテ・ボルヘス(代理)
1634年 – 1642年:アンドレー・ダ・ローシャ・マガリャエス(代理)
脚注
外部リンク