ボーフォート公爵 (英語 : Duke of Beaufort )は、イングランド貴族 の公爵 位。
第3代サマセット公 ヘンリー・ボーフォート の非嫡出子チャールズ・サマセット が1514年 に叙されたウスター伯爵 (英語版 ) 位を前身とする。5代ウスター伯ヘンリー・サマセット の代の1642年 にウスター侯爵位を与えられ、3代ウスター侯ヘンリー・サマセット の代の1682年 にボーフォート公爵位を与えられた。以来同公爵位はその子孫によって継承され、現在に至っている。2019年 現在の当主は第12代ボーフォート公ヘンリー・サマセット (英語版 ) である。
歴史
ランカスター公 ジョン・オブ・ゴーント (エドワード3世 の四男)の子孫である第3代サマセット公 ヘンリー・ボーフォート は1464年 にヘクサムの戦い の敗北により処刑され、ついでその弟の第4代サマセット公エドムンド・ボーフォート も1471年 のテュークスベリーの戦い の敗北で処刑され、サマセット公爵家の相続人は途絶えた[ 1] 。
しかし第3代サマセット公には非嫡出子チャールズ・サマセット (1460-1526) があった(彼のサマセット姓は父の爵位から取っている)。彼は非嫡出子であるためサマセット公爵位の相続権はなかったが、ヘンリー7世 の又従兄弟 にあたるという関係から1514年 2月1日 に新たにイングランド貴族 爵位ウスター伯爵 (英語版 ) (Earl of Worcester) を与えられた[ 1] [ 2] 。
その子である2代ウスター伯ヘンリー (英語版 ) (1496-1549) は、ウスター伯爵位継承前の1512年 3月21日 に母エリザベス (英語版 ) から第4代ハーバート男爵 (イングランド爵位)を継承している[ 3] 。
3代ウスター伯ウィリアム (1526-1589) は、初代サマセット公エドワード・シーモア や第4代ノーフォーク公 トマス・ハワード が大逆罪 に問われた裁判に関与し、とりわけサマセット公の裁判においては有罪を主張する最右翼だった(この件と後述するサマセット公爵位復権をめぐる両家の争いから現在に至るまでサマセット公爵家とボーフォート公爵家は仲が悪く、和解は成っていない)[ 4] 。
4代ウスター伯エドワード (1550-1628) は、ジェームズ1世 からセヴァーン川 の渡航料徴収権を獲得しており、この権利は20世紀 まで続いた[ 5] 。
5代ウスター伯ヘンリー (1577-1646) は1642年 3月2日 にイングランド貴族爵位ウスター侯爵 (Marquess of Worcester) に叙せられた[ 6] [ 7] 。
2代ウスター侯エドワード (1602-1667) は、1645年 にグラモーガン伯爵 (Earl of Glamorgan) 」に叙された。加えて従属爵位としてグロスモント子爵 (Viscount Grosmont) 」もしくはモンマス州におけるカルデコート城のボーフォート男爵 (Baron Beaufort, of Caldecote Castle in the County of Monmouth) あるいはその両方を与えられた。(この一連の爵位はその有効性及び存在性に議論がある)[ 7] 。彼はさらに1660年の王政復古 の際、先祖のサマセット公爵位の復権を受けることを狙ったが、シーモア家 もサマセット公爵位の復権運動を行った。結局チャールズ2世 はシーモア家のハートフォード侯爵 ウィリアム・シーモア (初代サマセット公エドワード・シーモアの曾孫)にサマセット公爵位復権を認め、2代ウスター侯の主張は通らなかった[ 5] [ 8] 。
グロスタシャー ・バドミントン (英語版 ) にある自邸バドミントン・ハウス (英語版 ) をバックに立つ第10代ボーフォート公ヘンリー・サマセット 。3代ウスター侯ヘンリー (1629-1700) は、1682年 12月2日 に先祖の姓に由来するイングランド貴族爵位ボーフォート公爵 が与えられた。これがボーフォート公爵家の始まりとなった[ 5] [ 9] [ 10] 。彼は襲爵前には庶民院 議員であり、王政復古の際に王党派として活躍した。以降もステュアート朝支持の王党派として行動し、トーリー党 の代表的政治家となった。名誉革命 の際にもジェームズ2世 廃位・ウィリアム3世 の即位に断固反対した[ 11] 。また彼はグロスタシャー ・バドミントン (英語版 ) に広大な領地と邸宅 (英語版 ) を入手し、以降ここが公爵家の本拠となっている[ 5] 。
3代公ヘンリー (1707-1745) は、第3代スカダモー子爵ジェイムズ・スカダモー (英語版 ) の娘フランセスと結婚したが、彼女の浮気を理由に離婚。その離婚訴訟の中でフランセスから性的不能者 扱いされたことに激怒し、6人の医師から自らが不能者ではないことを証明してもらう騒ぎになり、話題となった[ 12] 。
5代公ヘンリー (1744-1803) は1803年 6月4日 に爵位保有者不在 (abeyant) になっていたボトトート男爵 (イングランド爵位)を継承した[ 13] 。
7代公ヘンリー (1792-1853) は襲爵前にハリエット・ウィルソン (英語版 ) との恋愛スキャンダルで話題となった[ 14] 。
8代公ヘンリー (1824-1899) は家芸の狩猟をはじめとして様々なスポーツに精通した。「バドミントン 」の名で知られるスポーツも彼の代にバドミントンで発足したものである[ 15] 。
9代公ヘンリー (1847-1922) は、ボーフォート公爵領に鉄道を通過させたがっていた鉄道会社との交渉によって1903年に事実上公爵家専用となるバドミントン駅 (英語版 ) を作らせた(1968年 に大幅な赤字に苦しむ英国国鉄が10代公爵と交渉した結果、同駅は廃止されている)[ 16] 。
10代公ヘンリー (1900-1984) は家芸の狩猟に力を入れ、ラトランド公爵家のビーヴァー・ハントと並ぶバドミントン・ハントの主催者として著名となった[ 17] 。20世紀の税金攻勢で貴族は所有地を半減させた家が多いが、ボーフォート公爵家は彼が財産を巧みに運用したおかげで5万2,000エーカーの土地を手放さずにすんだばかりか、1,000エーカーの土地を増加させている[ 16] 。第二次世界大戦 中にはメアリー王太后 が親族のボーフォート公爵家のバドミントン・ハウスに疎開してきた。彼女は同屋敷で女主人も同然に過ごし、屋敷の蔦 を無断で切り取らせるなど好き勝手なことをして公爵の頭痛のタネとなった[ 18] 。
10代公は子供に恵まれず、8代公爵の次男の子孫にあたるデイヴィッド・サマセット (英語版 ) (1928-2017) が11代公爵位を継承した[ 19] 。なおボトトート男爵 とハーバート男爵 は11代公には受け継がれておらず、ボトトート男爵位は10代公の死とともにその姉妹間で優劣がつかず保有者不在 (abeyant) となっている一方、ハーバート男爵位も同様であったが、2002年にデイビッド・ジョン・サイフレッド=ハーバートが第19代ハーバート男爵を承継することが確定した。
2017年 の11代公の死後、その長男のヘンリー・サマセット (英語版 ) が12代公を継承した。彼が現在の当主である[ 10] 。
逸話
現当主の保有爵位
現在の当主である12代ボーフォート公ヘンリー・サマセット (英語版 ) は以下の爵位を保有している[ 10] 。
第12代ボーフォート公爵 (12th Duke of Beaufort)
(1682年 12月2日 の勅許状 によるイングランド貴族 爵位)
第14代ウスター侯爵 (14th Marquess of Worcester)
(1643年 5月2日 の勅許状によるイングランド貴族爵位。法定推定相続人 の儀礼称号 )
第18代ウスター伯爵 (18th Earl of Worcester)
(1514年 2月1日 の勅許状によるイングランド貴族爵位)
第13代グラモーガン伯爵 (13th Earl of Glamorgan)
(1645年 1月10日 の勅許状によるイングランド貴族爵位。有効性に議論有り)
第13代グロスモント子爵 (13th Vicount Grosmont)
(1645年1月10日の勅許状によるイングランド貴族爵位。有効性とその存在に議論有り)
モンマス州におけるカルデコート城の第13代ボーフォート男爵 (13th Baron Beaufort, of Caldecote Castle in the County of Monmouth)
(1645年1月10日の勅許状によるイングランド貴族爵位。有効性とその存在に議論有り)
一覧
ウスター伯(1514年)
ウスター侯(1643年)
ボーフォート公(1682年)
爵位継承順位
ウスター侯爵ヘンリー・ロバート・フィッツロイ・サマセット(Henry Robert FitzRoy Somerset, Marquess of Worcester, 1989-) 現当主の長男
アレグザンダー・ローン・サマセット卿 (Lord Alexander Lorne Somerset, 1995-) 現当主の次男
エドワード・サマセット卿 (Lord Edward Somerset, 1958-) 現当主の弟
ジョン・サマセット卿 (Lord John Somerset, 1964-) 現当主の弟
ライル・サマセット (Lyle Somerset, 1991-) 上記の息子
これ以降は5代公からの分流が継承資格者
家系図
脚注
^ a b 森(1987) p.85-86
^ Heraldic Media Limited. “Worcester, Earl of (E, 1513/4) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2019年9月16日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Henry Somerset, 2nd Earl of Worcester ” (英語). thepeerage.com . 2015年1月8日 閲覧。
^ 森(1987) p.87-88
^ a b c d 森(1987) p.88
^ Lundy, Darryl. “Henry Somerset, 1st Marquess of Worcester ” (英語). thepeerage.com . 2015年1月7日 閲覧。
^ a b Heraldic Media Limited. “Worcester, Marquess of (E, 1642/3) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2015年12月14日 閲覧。
^ 森(1987) p.63-64
^ Lundy, Darryl. “Henry Somerset, 1st Duke of Beaufor ” (英語). thepeerage.com . 2015年1月7日 閲覧。
^ a b c Heraldic Media Limited. “Beaufort, Duke of (E, 1682) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2015年12月14日 閲覧。
^ 森(1987) p.88-89
^ 森(1987) p.91-92
^ Lundy, Darryl. “Henry Somerset, 5th Duke of Beaufort ” (英語). thepeerage.com . 2015年1月8日 閲覧。
^ 森(1987) p.93-97
^ 森(1987) p.103
^ a b 森(1987) p.104-105
^ 森(1987) p.106-108
^ 森(1987) p.108
^ 森(1987) p.109
^ 森(1987) p.90
参考文献
関連項目