ホコトンとは、明治・大正期の日本の流行語で、矛盾(むじゅん)や間違っていることを意味する。衆議院本会議で議員の長谷川泰が矛盾をホコトンと発音したことから流行し、辞典類に掲載された。無知による誤読と言及されることが多いが、ユーモアとして故意に奇妙な発音をしたものと推測されている。実際の用例は長谷川以前から存在する(後述)。
由来
1892年(明治25年)5月31日、第3回帝国議会の衆議院本会議で震災予防調査会の設置予算が審議された際、医学者で教育者でもあった衆議院議員の長谷川泰が質問に立って以下のように発言した。
○長谷川泰君(百七十二番) 先だって予算委員会のおり政府委員と予算委員との問答を見ますると、
[中略] 少し「
ほことん」して居るようでありますが、
[中略] 渡辺君の言われるのとは「
ほことん」する(笑声起こる)ようでありますが、
[中略] どうも趣意が「
ほことん」致しますから(笑声起こる)(
佐々木正蔵君「
ほことん」とは何の事だ)「
ほことん」と云うのは
矛盾だ(笑声起こる)
[中略] 願わくはお答えあらんことを希望致します
- 〔政府委員文部次官辻新次君演壇に登る〕
○政府委員(
辻新次君) 百七十二番のお問いに対してお答え致します、ご演説中だいぶ笑声がありましたからして聞き漏らしてあるかも知れませぬ、しかし本官の思います所を述べましたならば、
[以下略] — 衆議院議事録、1892年(明治25年)5月31日[注釈 1]
この発言は笑いを呼び、翌日の新聞各紙の議会報告でも取り上げられた。
長谷川が「ホコトン」と発言するのはこの時が最初ではなく、1891年(明治24年)12月の衆議院予算委員会で既に「ホコトン」と言っていた。
○(長谷川泰君) ただ今政府委員は、高等師範学校では教育学倫理学を教える、大学では往かぬと云うが、
[中略] かつ政府委員が申されました通りに、尋常師範学校の教員や、尋常中学校の教員を別に製造しなければならぬと云う事ならば、
[中略] それは大きに
ほことん(矛盾)しようと考える、
[以下略] — 衆議院予算委員会議事録、1891年(明治24年)12月10日[注釈 1]
また長谷川は、その後の衆議院本会議や予算委員会、そして議会外での演説でも、複数回「ホコトン」と言っている。
○主査(長谷川泰君) それをお入れになりましょう、
[中略] そうしますると
[中略] 今の
医学大学にある
緒方教室はお廃しになるお考えでござりましょう、
[中略] そうせぬと
ホコトンになるでしょう、同じものを二つ用いると云うことになるから
— 衆議院予算委員会議事録、1892年(明治25年)12月9日[注釈 1]
○長谷川泰君(四十三番) ちょっとこの
札幌農学校の事に就きまして政府委員にお尋ね致します
[中略] 農学校と云う名義の下に
士官学校とする必要があると云う勅令を発せられて見ると、甚だ
ホコトンして居りまするように考えますが、その辺に就いては如何の訳でありますかお答えあらんことを望みまするであります
— 衆議院議事録、1892年(明治25年)12月19日[注釈 1]
○長谷川泰君(四十三番) 諸君、本員は昨日
[中略] 教育事務に関係を致しましたる質問を提出致しましたのであります、
[中略] 薩長人の学校は政府で保護する、人民の建ったものは撲滅を謀ると云うは、実に
ホコトンも甚だしいではありませぬか、(笑声起こる)なぜこの如く
ナポレオン第一世的の方針を教育に用いますか、
[中略] 現在の
小学令に依りますと云うと、この小学教育なるものは即ち社会人民のある一部のみに行う所の法律でありまして、
[中略] 国家教育と
ホコトンする所がある、即ち貴族的小学教育でありまする、政府は何をもってかくの如く貴族的小学のみこれ行うのでありましょうか、
[以下略] — 衆議院議事録、1892年(明治25年)12月23日[注釈 1]
われわれ日進医学
[注釈 2]が進んだならば
漢方医学は不用である、早く消すがよろしいのであります、
[中略] さてかくの如き有様なるにも拘わらず、或いは権力を政事にかりて学問社会を蹂躙するなどと申しますが、
[中略] これは前に
金杉君が言われた如く
矛盾も甚だしきものであります
[以下略] — 長谷川泰『漢方医継続に就て』
1893年(明治26年)1月28日、大日本私立衛生会での演説[注釈 3]
もし
末松博士の言われました如く、
伝染病研究所を置くことが出来ぬと云うことならば、
[中略] また
高木君の
東京病院も放逐しなければならぬ訳であるが、待てしばし、その院長は
薩州本場、天下の大権を握っている
薩長政府の正四位勲二等医学博士
高木兼寛君である、薩人は風なり人民は草なり、ドウも
北里の方は
熊本人、勢力が少ないからこれをマア放逐しようではないかと云うことであるかも知れない(拍手大喝采)果たしてしからば実に
矛盾もまた甚だしいと云わねばならぬ
[中略] ソコでここに一ツ
矛盾のことがあります(笑声起こる)なぜかと云うに私が先刻から述べました如く、私の申し上げたようなことは、
末松君がご承知のない訳はない
[中略] 内閣諸公は何をもって、かかる
芝区の議論、すなわち事実と大層開きのあります所の——実際
矛盾なる所の——我が帝国を真ッ暗にする所の説を聴かんとするか
[以下略]
— 長谷川泰『伝染病研究所は市内に置くも妨げなし』
1893年(明治26年)5月21日、大日本私立衛生会での演説[注釈 3]
一方においては
文明国の真似をして憲法政治を施し、一方においては野蛮国の真似をして
伝染病を度外視しておくというのは、
ホコトンではありませぬか
[中略] いやしくも文明政治の真似をして立憲政体であると云うならば、
ホコトンしないように人命財産を保護し伝染病に対する
衛生事務を拡張するがよろしい、すなわち
立憲政治を正当にやればよろしい
[以下略]
— 長谷川泰『在朝及び在野の政事家は何を以て赤痢の流行を度外視するか』
1893年(明治26年)9月30日、大日本私立衛生会での演説[注釈 3]
○(長谷川泰君) 本員はこの十一項を削除すると云う説を提出致します、一体政府委員の述べたことは間違っているのでござります、内務省が所謂方針と
ホコトンしているのでござります(笑声起こる)
[以下略]
○(長谷川泰君) ただいま政府委員も述べられまして
目黒君もご意見を述べられましてございますが、
[中略] 左様な理由はない自家
ホコトン極まる道理と思います
— 衆議院予算委員会議事録、1894年(明治27年)5月26日[注釈 1]
1895年(明治28年)2月発行の速記者向け雑誌『速記彙報』第58号には、当時の国会議員たちの口癖や言い間違いや訛りを集めた一覧表「帝国議会特別語彙」が掲載されており、その中に長谷川の「ホコトン」も採録されている。
— 「帝国議会特別語彙」より抜粋、『速記彙報』第58号、1895年(明治28年)2月[注釈 5]
流行
やがて「ホコトン」は広く知られた流行語となった。教育者の安達常正は、1909年(明治42年)に著書で次のように述べている。
某代議士は「矛盾」を「
ホコトン」と言ったのはすこぶる有名のものとなって、今日にては普通にそう言わねばならぬ位になっている。
— 安達常正『漢字の研究』、1909年(明治42年)[注釈 3]
1911年(明治44年)に詩人の大町桂月と国文学者の佐伯常麿が出版した『誤用便覧』という書籍では、「ホコトン」という読みが広まっていることを嘆いている。
矛盾
自らいうことの前後合わぬを
矛盾といい、
ムジュンと読むのである。
[中略] さる紳士が之を
ホコトンと読んだとかで一時世の笑柄となったが、今やそれが殆んど一つの通語となったような観あるは、苦々しい次第である。
— 大町桂月・佐伯常麿『誤用便覧 机上宝典』、1911年(明治44年)[注釈 5]
同じく1911年に漢学者の松平康國(松平破天荒斎)が出版した『韓非子』の解説書は、「矛盾」という語の由来となった部分の注釈で「ホコトン」についても言及している。
矛盾の喩は尤も妙、今尚お俗語となって普通に用いらる、
ホコトンの如きは笑柄とし人の善く知る所なり — 松平破天荒斎『韓非子国字解』、1911年(明治44年)[注釈 5]
「ホコトン」は通常の国語辞典や俗語・隠語・流行語・新語辞典などに採録された。各種辞書類での掲載例を以下に示す。
ほことん (
名) 或人矛楯の文字をホコトンと読み誤りたるより起る。〔一〕物知らぬより出でたる誤り。〔二〕滑稽嘲罵の語気にて云う時
矛楯の意。
— 大和田建樹編『日本大辞典』、1896年(明治29年)[注釈 5]
ほことん 矛盾(大学者議員の発明語)
— 滑稽新聞記者編『日本滑稽辞林』、1903年(明治36年)[注釈 5]
ほこ-とん[矛盾](名)《衆議院議員某が誤り読みたるに出ず》「むじゅん」に同じ。
— 金沢庄三郎編『辞林』、1907年(明治40年)[注釈 5]
【ホコトン】 無学なる国会議員の
矛盾をかく誤読せしより起りし語。
— 藤井乙男編『諺語大辞典』、1910年(明治43年)[注釈 5]
スラング (Slang) 不純粋なる語の一種。訛語・俚語・濫造語・隠語等、或いは堕落し、或いは横ぞれしたる品位なき語をいう。
不孝(
勘当の意)・無用(
禁止)・
谷まる(
きわまる)・
茶まが(
釜)・
つもごり(
晦)・
ほことん(
矛盾)・
土佐衛門・管まく・くたばる・へこたれる・しらめたる(
調べ改める)・べね(
べに)・きんにょう(
昨日)・こっぱ(
鰹節)・むすめ破り(
土蔵破り)等これなり。修辞上純粋の点より見て濫用を戒むべきものとせらる。〔
五十嵐〕
— 斎藤精輔編『日本百科大辞典 第5巻』、1911年(明治44年)[注釈 3]
ホコ-
トン(矛盾)
[名] ㊀「む-じゅん」を滑稽的に言う語。
(俗) ㊁無学ゆえの間違い。
(俗) — 芳賀矢一『新式辞典』、1912年(大正元年)[注釈 5]
【矛盾】
ム・ジュン 矛と盾を商うもの、
[中略] と云う故事に出で転じて前後相撞着すること。あとさきの相違すること。
韓非子に出ず。近世「
ホコ・トン」と読むは誤読。
— 上田万年ほか編『大字典』、1917年(大正6年)[注釈 3]
ほこ・とん〔矛盾〕 物の間違いたるを云う。衆議院議員某が、むじゅんと読むべきを、ほことんと読み誤りたる
笑柄より出ず。
— 小峰大羽編『東京語辞典』、1917年(大正6年)[注釈 5]
ほこ-
とん (名) |
矛盾|矛楯| むじュん(矛盾)ノ誤読。其條ヲ見ヨ。
— 大槻文彦『大言海』、1935年(昭和10年)[注釈 5]
ほことん 〔矛盾〕 まちがい。〔←衆議院議員某が「むじゅん」を「ほことん」と読み誤ったことから〕(俗語)
[大] — 楳垣実編『隠語辞典』、1956年(昭和31年)
ホコトン もののまちがっていること。衆議院議員が矛盾という字をホコトンとよんで以来、つかわれた。
— 正岡容『明治東京風俗語事典』、2001年(平成13年)、初出1957年(昭和32年)
「ホコトン」は子ども向けの辞典にも掲載された。
【ほことん】
矛盾の
百姓読み。
衆議院議員の
何某がこれを
ほことんと
誤読したので、それから
一般に
洒落て
用いられるようになった。「そんな
ほことんな
話があるもんか」など。
— 金子彦二郎編『現代常識語辞典』〈少年少女常識叢書〉、1925年(大正14年)[注釈 5]
〔矛盾〕ムジュン ほことたて、言うことのつじつまがあわぬこと。ほことん。
— 吉田武編『全科小学生辞典』、1934年(昭和9年)[注釈 5]
また和英辞典や日中辞典にも採録された。
⦅矛盾⦆(ホコトン)(名)
矛盾之訛。矛盾也。 — 『東中大辞典』作新社(上海)、1908年(戊申年)
Hokoton 〔矛盾〕 矛盾 mao2-hsün1. — 石山福治編『日支大辞彙』、1917年(大正6年)
Hokoton (矛盾の滑稽読み)【
形】
Inconsistent; self-contradictory. — 斎藤秀三郎『斎藤和英大辞典』、1928年(昭和3年)[注釈 5]
ほことん【矛盾】(名)[俗]=むじゅん。
— 陳濤ほか編『日漢辞典 商務印書館版・縮刷版』、1959年
近年の辞典でも、例えば2001年(平成13年)出版の日本国語大辞典第二版には「ほことん」が掲載されている。
誤読か故意か
長谷川泰の「ホコトン」発言は、世間一般には無知による読み間違いだと受け止められ、辞書類での語源説明(例えばなど)でも誤読だとされている。また、いわゆる百姓読みの例としても言及されている。しかし惣郷正明・水野雅央・高島俊男は、長谷川が正しい読み方を知った上でユーモアとして故意におかしな読み方をして見せたのだろうと推測している。故意だとする根拠は以下の通りである。
- 長谷川は無学な人間ではなくむしろ博学で、漢籍にも通じていたこと
- 同時に長谷川は奇行でも知られたこと
- 「盾」の音読みには呉音の「ジュン」と漢音の「トン」があるが、よく知られた「ジュン」ではなく珍しい読みの「トン」を採用していること
- その一方で「矛」には訓読みの「ほこ」を当てており、「ホコトン」は湯桶読みのような不自然な読み方によって滑稽な響きとなっていること
- 長谷川が一回の発言の中で「ホコトン」という語を執拗に繰り返し、「ホコトンとは何の事だ」という野次が飛ぶと即座に「ホコトンと云うのは矛盾だ」と言い返していること
なお議会翌日の1892年(明治25年)6月1日に長谷川発言を報じた新聞記事の中にも、故意だと指摘するものがあった。読売新聞は「矛盾を故()らにホコトンと云うなり」[注釈 5](現代語意訳: 矛盾をわざとホコトンと言った)「長谷川氏蓋()し『ホコトン』なる言語を発せんが為めに故()らに疑問なきに質問を起したるにあらざるなき乎()」[注釈 5](現代語意訳: 長谷川氏は、別に疑問もなかったのに「ホコトン」と言いたくて質問に立ったのだろう)と述べ、毎日新聞は「蓋()し君は博覧強記の人殊更()らに矛盾の語を洒落()れたる者ならん」[注釈 5](現代語意訳: 長谷川君は博学な人だから、読み間違いではなく洒落で矛盾をホコトンと発音したのだろう)と推測していた。
長谷川以前の「ホコトン」
長谷川が衆議院本会議で「ホコトン」と発言して大きく報じられたのは1892年(明治25年)5月末以降であるが、上述したように長谷川は1891年(明治24年)12月の衆議院予算委員会でも既に「ホコトン」と言っていた。また出版物には1890年(明治23年)頃から複数の用例が見受けられる。1892年5月以前の「ホコトン」の用例を以下に示す。
1890年(明治23年)8月11日付の読売新聞の「牛力議員」という記事は、衆議院議員選挙に立候補したある政治家が、演説会で「鶏を裂くに牛刀を用いず」ということわざの「牛刀()」を「牛力()」と言い間違えて笑われたという話を報じており、類似の前例として、「谷まる()」を「たにまる」と読み間違えた県議会議員や「矛盾」を「ほことん」と読み間違えた県議会議員もいたと述べている。
1890年9月3日発行の少年雑誌『小国民』(石井研堂編集)第18号に掲載された「無学の議員」という文章も、「近日の新聞」に載っていた奇談として、誤読からあだ名をつけられた三人の県会議員「谷()まる議員」「矛盾()議員」「牛力議員」を紹介している。
同じく1890年9月3日発行の少年雑誌『少年園』(山縣悌三郎主幹)第45号に掲載された「議員の異名」という文章では、初めて洋装をした際に襟を逆さまに着用してしまった「逆襟()議員」、矛盾をホコトンと誤読した「ホコトン議員」、宴席でひょっとこ踊りを披露した「ヒョットコ議員」を紹介している。
1890年9月5日発行の雑誌『国本』第6号に掲載された「国会議員と新聞の材料」という文章は、新聞等で話題になった議員のあだ名として「逆襟議員」「ホコトン議員」「ギュウリョク議員」「タニマル議員」を挙げている。
1890年9月17日発行の雑誌『天則』第3巻第3号に掲載された「質朴なる議員」という文章は、世間で話題になった議員の失態として「矛盾、牛力、逆襟、ヒョットコ踊り」を挙げている。
1890年11月22日発行の教育雑誌『教育報知』第243号に掲載された「あざな」と題する文章は、政治家のあだ名を多数紹介しており、伊藤博文の「憲法伯」、勝海舟の「氷川伯」などに続いて「ホコトン議員」「瓦斯燈議員」「倒襟議員」などを挙げている。
1891年(明治24年)4月1日に儒学者の近藤元粋が出版した書籍『普通教育 用文教科書』には、牛刀を牛力と言い間違えて「牛力議員」のあだ名を付けられた政治家が、さらに矛盾をホコトンと誤読して「矛盾議員」と呼ばれるようになったという話が掲載されている。
1891年6月10日発行の女性誌『婦女雑誌』第1巻第9号に掲載された「好笑」という文章は、誤字や誤読の例を多数挙げており、その中に「請願をコウガン」「牟盾[注釈 6]をホコトン」などが出てくる。
1891年8月31日に出版された新聞記者・演説家の城山静一の講演録『米商会所演説筆記』には、「ホコトンヤレ〱」「此等のホコトンは」「是等の小ホコトンが」「忌わしき大ホコトンの」などと、ホコトンという語が繰り返し出てくる。
1892年(明治25年)4月2日発行の英学専門誌『日本英学新誌』第1号に掲載された「発音に就て」という文章は、我流の誤った英語発音というのは耳障りなものだと指摘し、日本の議員が矛盾をホコトンと読んだり日本の大臣が枚挙()をボクキョ[注釈 4]と読んだりするのが耳障りであるのと同様だと述べている。
1892年4月15日発行の雑誌『葦分船』第10号には、「ほことん居士」というペンネームの人物による小噺「弁士の頓智」が掲載されている[注釈 7]。
脚注
注釈
- ^ a b c d e f 引用に当たり、漢字カタカナ交じり文となっていた原文を漢字ひらがな交じり文に変更し、原文のひらがな部分はカタカナに置き換え、旧字旧かな遣いを新字新かな遣いに改め、一部の難読漢字をひらがなに置き換えて送りがなを補った。文字強調は引用者。
- ^ 長谷川のいう「日進医学」とは西洋医学のこと。
- ^ a b c d e f g 引用に当たり、旧字旧かな遣いを新字新かな遣いに改め、一部の難読漢字をひらがなに置き換えて送りがなや読点を振り直した。文字強調は引用者。
- ^ a b 「ボクキョ」あるいは「ボッキョ」とは、松方正義による失言で、演説原稿に出てきた「枚挙」(マイキョ)という単語の「枚」の字(木偏に攵)を「牧」(牛偏に攵)に見間違え、「牧挙」という単語だと思い込んで読み上げたというものである。この「ボクキョ」(ボッキョ)は、無知による誤読の例として、しばしば「ホコトン」と並んで言及された(ボクキョ/ボッキョとホコトンの両方に言及している文献は、例えば)。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 引用に当たり、旧字旧かな遣いを新字新かな遣いに改めた。
- ^ 「牟盾」は原文ママで正しくは「矛盾」。
- ^ 『葦分船』第10号掲載の小噺「弁士の頓智」の内容は、政治演説会で弁士が演説中にイギリスの首相の名前を「ハイスベリー」と言い間違えて聴衆に笑われ、「あの首相はハゲで有名だから私はわざとそう言ったのだ」と主張して取り繕ったというものである。本文に明記されていない部分を補足すると、当時(1892年4月)のイギリス首相はソールズベリー侯爵[89](明治時代のカタカナ転写では「サリスベリー」)であった。また「はいすべり」あるいは「はえすべり」(漢字表記は「蠅滑」・「蠅辷」)とは、頭にとまろうとした蠅が滑ってとまれないという意味で、「ハゲ頭」のことを指す。
出典
参考文献
議事録・講演録・新聞・雑誌
長谷川発言
長谷川発言以外
辞典類
書籍
長谷川発言
長谷川発言以外