五十嵐力五十嵐 力(いがらし ちから、1874年(明治7年)11月22日 - 1947年(昭和22年)1月11日[1])は、日本の国文学者。号は巴千[1]。修辞学・国文学・国語学の領域で多くの業績を残した[1]。 略歴山形県生まれ[1]。1894年7月、東京専門学校卒業[2]。翌年『早稲田文学』記者に就任[2]。近松同人研究会の一員として、坪内逍遙の指導を受ける[2]。卒業後10年ほどは国文学から離れるが、逍遙の勧めで国文学研究に戻る[2]。1901年、東京専門学校講師[3]。1920年、新たに設置された早稲田大学文学部国文科主任教授に就任[1]。後に文学部学部長を勤めた。1945年、自宅の甲鳥園が空襲によって焼失し[1]、早稲田大学文学部内の五十嵐記念文庫も焼失した[1]。 早稲田大学着任以降、他校の教員を兼任することなく、病気や公用を除いて講義を休講することもなかった[1]。学生の作文を全て添削する丁寧な指導は評判を呼び、多くの文壇人を送り出した[1]。 著書単著
編集翻訳・現代語訳
校閲
共著
作品集五十嵐力集
記念論文集等
脚注参考文献
外部リンク |