ホアキン・ベノワ
ホアキン・アントニオ・ベノワ・ペーニャ(Joaquín Antonio Benoit Pena, 1977年7月26日 - )は、ドミニカ共和国サンティアゴ州サンティアゴ・デ・ロス・カバリェロス出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 経歴プロ入りとレンジャーズ時代1996年にドラフト外でテキサス・レンジャーズと契約。 2001年にメジャーデビュー。同年は1試合に先発登板しただけであり、5.0イニングを8安打6失点と打ち込まれた。翌2002年も先発格で投げ、17試合中13試合にスターターとして登板した。だが、防御率5.31と打ち込まれたほか、与四球率も6.2と制球力に課題を残した。前述の通り、中心的な役割は先発だったが、1セーブを挙げた。このセーブは9月3日の対ボルチモア・オリオールズ戦で3回裏からリリーフし7イニングを投げ切って挙げたものである。2003年は、25試合中17試合に先発登板して8勝5敗と勝ち越したが、防御率は5.49と悪化の一途をたどった。また、QSを決めたのが3試合に留まり、スタミナ面での課題が浮かび上がった[1]。2004年、前年とほぼ同水準の成績であり、28試合の登板で防御率5.68・3勝5敗だった。スタミナ不足で、イニングが進むほど打ち込まれたり、QSが少ないままであるのも同様だった[2]。 2005年、先発で投げたのは32試合中9試合であり、リリーバーとしての比重が増えた。結果的に防御率3.72・WHIP1.23で自己ベスト (当時) の数値をマークし、リリーフ転向は成功した。翌2006年は全56試合にリリーフ登板したが、制球難で不安定なピッチングが続いた為、敗戦処理で投げる機会が多かった[3]。 2007年、自己2位(2016年時点)の70試合にリリーフ登板し、防御率2.85・7勝4敗6セーブ・WHIP1.17という好成績で大ブレークした。この活躍ぶりが評価され、オフに2年総額600万ドルで契約更改した[4]。 2008年、シーズン通して肩の状態が思わしくなかった[5]為、44試合のリリーフ登板で防御率5.00と不調だった。2009年シーズン開幕前に肩の手術を受け[5]、その影響で全休した。 レイズ時代2010年は、タンパベイ・レイズとマイナー契約。故障明けながら、速球のスピードが上がった[6]影響もあって、63試合のリリーフ登板で防御率1.34・WHIP0.68・奪三振率11.19と、自己最高級の成績を残した。オフにFAとなった。 タイガース時代2010年11月19日にデトロイト・タイガースと3年1650万ドルで契約。1年ごとに最大100万ドルの出来高がつく[7]。 2011年は、クローザーのホセ・バルベルデに繋ぐセットアッパーとして起用された。序盤は調子が悪く、5月終了時点での防御率が5.85だった[8]が、その後は調子を上げ、最終的には66試合の登板で防御率2.95・WHIP1.05と2年連続で好成績を残した。 2012年はチーム最多、リーグでも7位タイの73試合に登板した。しかし、肩や腕の不調に悩まされた事[9]もあり、71.0イニングでホームランを14本も被弾したが、要所を締めるピッチングで防御率3.68にまとめ上げた。 2013年は、バルベルデがいなくなった為、クローザーに抜擢された。4年連続60試合以上となる66試合に登板し、防御率2.01、24セーブ、WHIP1.03という好成績で役割を全うした。10月31日にFAとなった[10]。 パドレス時代2013年12月18日にサンディエゴ・パドレスと2年総額1550万ドルで契約に合意したことを報道され[11]、28日に球団が発表した[12]。 2014年は、セットアッパーとしてもクローザーとしても投げ、53試合に登板して4勝2敗11セーブをマーク。防御率1.49・WHIP0.77はいずれも2010年に次ぐ高水準の数値だった。2015年はセットアッパーに戻り、67試合のリリーフ登板で防御率2.34、6勝5敗2セーブ、WHIP0.90という相変わらずの安定感を発揮した。 マリナーズ時代2015年11月12日にエニエル・デロスサントス、ネルソン・ウォードとのトレードで、シアトル・マリナーズへ移籍した[13]。 2016年、マリナーズでは26試合に登板したが、24.1イニングで15四球を出したほか、防御率5.18と久々に炎上した。 ブルージェイズ時代2016年7月26日にドリュー・ストーレン+金銭とのトレードで、トロント・ブルージェイズへ移籍した[14]。ブルージェイズ加入後は25試合に登板。移籍前とは別人のように躍動し、2勝無敗、防御率0.38とチームのプレーオフ進出に貢献した。また、通算700試合登板をクリアした。シーズントータルでは、全休のシーズン復帰から7年連続50試合以上となる51試合に登板し、3勝1敗1セーブ、防御率2.81、WHIP1.27、奪三振率9.8という成績を残した。 フィリーズ時代2016年12月6日にフィラデルフィア・フィリーズと1年750万ドルで契約を結んだ[15]。 パイレーツ時代2017年7月31日にセス・マクガリーとのトレードで、ピッツバーグ・パイレーツへ移籍した[16]。オフの11月2日にFAとなった[17]。 ナショナルズ傘下時代2018年2月21日にワシントン・ナショナルズと1年契約を結んだ[18]。この年は右腕を痛めて全休し、オフの10月29日にFAとなった[19]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
表彰
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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