ヘレフォード子爵
ヘレフォード子爵(英語: Viscount Hereford)は、イングランド貴族の子爵位。1550年に第9代チャートリーのフェラーズ男爵ウォルター・デヴァルーが叙されたのに始まる。その息子の第2代ヘレフォード子爵ウォルター・デヴァルーは、1572年にエセックス伯に叙され、以降3代にわたってヘレフォード子爵位はその従属爵位となっていたが、エセックス伯位は1646年に絶え、ヘレフォード子爵位のみが初代子爵の末息子の家系によって継承され、2024年現在まで存続している。 歴史デヴァルー家の貴族としての祖はウォルター・デヴァルー(1431–1485)である。彼はチャートリーの第7代フェラーズ女男爵アン・フェラーズ(1428-1469)と結婚して妻の権利でチャートリーの第7代フェラーズ男爵位を得た。この爵位は議会招集令状によるイングランド貴族爵位であるため男子なき場合に姉妹間の優劣がない女系継承が可能だった。二人の間の子であるジョン・デヴァルー(1464頃-1501)は、1469年に母アンから第8代チャートリーのフェラーズ男爵位を継承し、エセックス伯爵バウチャー家の娘セシリー・バウチャーと結婚した[1]。 その二人の息子である第9代フェラーズ男爵ウォルター・デヴァルー(1489-1558)は、1550年2月2日の勅許状でイングランド貴族爵位ヘレフォード子爵(Viscount Hereford)に叙せられた[2]。 その孫で第2代ヘレフォード子爵位を継承したウォルター・デヴァルー(1539–1576)は、1571年1月28日に曽祖母セシリー(第8代フェラーズ男爵の妻)の実家バウチャー家から議会招集令状によるイングランド貴族爵位バウチャー男爵(Baron Bourchier)を継承した[3]。さらに翌1572年5月4日にはバウチャー家に由来する爵位であるエセックス伯(Earl of Essex)を新規に叙せられた[4][5]。 その息子である2代エセックス伯(3代ヘレフォード子爵)ロバート・デヴァルー(1566–1601)は、エリザベス1世の寵愛を受けた近臣として知られるが、宮廷の実力者ロバート・セシル(後の初代ソールズベリー伯爵)と対立を深め、女王との関係も悪化し、最後にはクーデターを起こすも失敗して大逆罪で処刑されるという末路をたどった[6]。 その息子である3代エセックス伯(4代ヘレフォード子爵)ロバート・デヴァルー(1591–1646)は、清教徒革命(イングランド内戦)の際に議会派の総司令官を務めたことで知られる[6]。しかし継承者を残せなかったため、彼の死とともにエセックス伯位は廃絶した(議会招集令状による爵位であるフェラーズ男爵位とバウチャー男爵位は停止)[4]。 一方ヘレフォード子爵位は初代ヘレフォード子爵の末息子である(ウォリック州におけるブロムウィッチ城の)初代準男爵サー・エドワード・デヴァルーの息子である第2代準男爵サー・ウォルター・デヴァルー(1578–1658)が継承して存続した[4]。 その後、8代まで5代子爵の男系男子によってヘレフォード子爵位は継承されたが、9代子爵プリース・デヴァルー(1664–1740)から5代子爵の弟ジョージ(1579-1665)の系統に移った。2016年現在の当主は19代ヘレフォード子爵ロビン・デヴァルー(1975-)である[4]。 現当主の保有爵位/準男爵位現当主の第19代ヘレフォード子爵ロビン・デヴァルーは以下の爵位・準男爵位を保有している[4]。
歴代当主一覧ヘレフォード子爵 (1550年)
エセックス伯 (1572年)
(ブロムウィッチ城のデヴァルー)準男爵 (1611年)
ヘレフォード子爵 (1550年)
家系図ヘレフォード子爵デヴァルー家系図
脚注出典
参考文献
関連項目 |