1888年、マッカンは幾度か自らの肖像画を描いてもらっていた画家のジョン・ペティの娘、アリソン・ペティ(Alison Pettie)と結婚した[1]。2人は1人の息子を儲けた。ジョンは音楽にも熱心で、マッカンがキャリアを積むべく自作を披露する演奏会を企画した際に助力を行っていた。こうしたことがきっかけとなり、カール・ローザからスコットランドの題材に基づくオペラの委嘱を取り付けることになる。マッカンのオペラ処女作となる『Jeanie Deans』は、彼自身の指揮により1894年11月15日にエディンバラの王立ライシーアム劇場(英語版)で初演された[6]。オペラ『Diarmid』(Marquis of Lomeのリブレット)は1897年10月23日にロイヤル・オペラ・ハウスで上演された[7][8]。彼は数年間にわたってカール・ローザのオペラ興行会社で、その後は他の会社も指揮者を務めた[3]。多忙を極めた作曲、指揮、教職のスケジュールは次第にマッカンの健康を蝕み、彼は1916年にわずか48歳でこの世を去った。
1891 - カンタータ『Queen Hynde of Caledon』 Op.13 (初演:1892年1月28日、グラスゴー・シティー・ホール)
1900 - 独唱、合唱と管弦楽のための『The Masque of War and Peace』 (初演:1900年2月13日、ロンドン、ハー・マジェスティーズ・シアター)
1905 - カンタータ『The Wreck of the Hesperus』 (初演:1905年8月28日、ロンドン、コリシーアム劇場)
1908 - 独唱、合唱と管弦楽のための『The Pageant of Darkness and Light』 (初演:1908年6月4日、ロンドン、農業ホール)
1912 - 独唱、合唱と、もしくはまたはオルガンのための『Livingstone the Pilgrim』 (初演:1913年3月19日、ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール)
1896-1913 - 合唱と管弦楽のための『Four Scottish Traditional Border Ballads』 (Kinmont Willie; The Jolly Goshawk; Lamkin; The Death of Parcy Reed) (初演:第1番から第3番までは1921年4月19日、シェフィールド、ヴィクトリア・ホール; 第4番は1925年3月25日、ロンドン、クイーンズ・ホール)