ブレスラウ条約
ブレスラウ条約(Vorfrieden von Breslau)は、1742年6月11日にブレスラウで締結された、オーストリア継承戦争におけるプロイセンとオーストリア大公国(ハプスブルク帝国)との間の講和条約である。 同年7月28日にベルリンで同内容の条約が最終合意として再締結されており、こちらをベルリン条約という。いずれにせよ、この条約によって第一次シュレージエン戦争は終結した。 概要クラインシュネレンドルフの密約によって一度は停戦した両国であるが、すぐに戦闘は再開された。 マリア・テレジアはフリードリヒ大王にシュレージエンを渡すまいとして懸命であったが、プロイセン軍にコトゥジッツの戦いで敗れ、ベーメンのフランス軍を撃退することも失敗したとなると、両勢力を一度に相手にするのはやはり無理だと認めざるを得なかった。 元々、同盟国であるイギリスからは参戦の条件としてプロイセンとの講和とフランスへの戦力集中を強く要求されており、多額の資金援助を受けている手前いつまでもその要求を無視することはできなかった。 内容条件は以下のようであった。
参考資料
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