ブラウナウ・アム・イン

ブラウナウ・アム・イン
Braunau am Inn
オーストリアの旗
ブラウナウ・アム・インの中心地
ブラウナウ・アム・インの中心地
ブラウナウ・アム・インの市章
基礎自治体(Gemeinde)
位置
ブラウナウ・アム・インの位置の位置図
ブラウナウ・アム・インの位置
ブラウナウ・アム・イン郡におけるブラウナウ・アム・インの位置の位置図
ブラウナウ・アム・イン郡におけるブラウナウ・アム・インの位置
座標 : 北緯48度15分 東経13度2分 / 北緯48.250度 東経13.033度 / 48.250; 13.033
行政
 オーストリア
  (Bundesland) オーバーエスターライヒ州の旗 オーバーエスターライヒ州
 郡 (Bezirk) ブラウナウ・アム・イン郡
 基礎自治体(Gemeinde) ブラウナウ・アム・イン
地理
面積  
  基礎自治体(Gemeinde) 24.8 km2 (9.6 mi2)
標高 351 m (1,152 ft)
人口
人口 (2009年1月現在)
  基礎自治体(Gemeinde) 17,333人
    人口密度   699人/km2(1,810人/mi2
その他
等時帯 CET (UTC+1)
夏時間 CEST (UTC+2)
市外局番 07722
ナンバープレート BR
公式ウェブサイト : http://www.braunau.at/

ブラウナウ・アム・イン(Braunau am Inn De-Braunau am Inn.ogg 発音)は、オーストリアザルツブルクから北へ60キロメートルの、オーバーエスターライヒ州西北部のイン川の畔にある基礎自治体 (Gemeinde)。ドイツとの国境にある街。東南部にオーストリアで三番目に大きい都市のリンツがある。

アドルフ・ヒトラーの生地として知られる。

歴史

起源は810年頃まで遡り、市の条例は1260年から引き継がれているオーストリアでも最も古い都市の一つ。

ヒトラーの生家

ヒトラーの生家とその前に設置されたファシズムに反対する石碑。
石碑には「平和、自由そして民主主義のために ファシズムを繰り返すな 何百万の犠牲者が我々に気付かせる」と刻まれている。

ヒトラーは1889年4月20日にブラウナウに生まれ[1]、同地には現在も生家が残る。これからちょうど100年となった1989年、市長のゲアハルト・シーバはヒトラーの生家の前に、戦争とファシズムに反対する石碑を建てており、この石碑はマウトハウゼン強制収容所から送られた石にドイツ語で刻まれている。1992年以降、現代史協会はブラウナウにおける現代史のシンポジウムを開催し、また1998年からは「ホロコースト記念施設での奉仕活動」の為の会合を、毎年ブラウナウにて行っている。地元新聞「ブラウナウ・ルントゥシャウ」は「ブラウナウはここに反戦、反ファシズムを掲げる」という署名運動を開始した。現在市は街が「ヒトラー生誕の地」として観光地化することを望んでおらず、石碑には「ヒトラーの生家」とは一文たりとも刻まれていない。また、市内の地図には他の名所が記されている一方生家は記載されず、生家の前の道路も観光客がツアーなどを組んでたむろできないようにバスの停留所や車の駐車場となっている。

2016年7月オーストリアのヴォルフガング・ソボトカ内相は、ヒトラーの生家を取り壊す方針を決定している。この建物は1972年にオーストリア政府が借り上げ、障害者施設として使用されていたが、2011年に所有者がこの建物の改修を拒否しており、買い取り交渉にも応じず、約5年間も空き家となっており、ネオナチの聖地になる懸念があったためである。2016年10月にオーストリア政府がこの建物を強制収用することを決定したが、この建物がある旧市街中心部が遺産保護区域となっていることから、取り壊しに反対する意見や博物館などへの教育への活用を求める意見があった。

2019年11月、オーストリア政府は元の持ち主に補償料を支払ったうえで、建物を警察署として活用する計画を公表し、併せて欧州連合圏内を対象に建物のデザインに関するコンペティションを実施することも発表された[2][3]。オーストリア政府は、警察がこの建物を使用することによってナチズムの聖地化を阻止するというメッセージになるとしている[2][3]。一方、ヒトラーの生家に関するドキュメンタリー映画を製作した映画監督のギュンター・シュヴァイガードイツ語版は、1939年5月10日付の地元紙を根拠に「生家を官署にすることがヒトラーの願い」で、警察署にするとヒトラーの意向を実現する形になることから、計画に異議を挟んでいる[4]

その他

ローマ教皇ベネディクト16世ヨーゼフ・ラッツィンガー)は1927年4月16日、ブラウナウから数キロメートル離れたドイツバイエルン州マルクトル・アム・インで生まれた。

街並み

脚注

  1. ^ 篠田航一『ナチスの財宝』講談社、2015年、193頁。ISBN 978-4-06-288316-0 
  2. ^ a b ヒトラーの生家を警察署に オーストリア政府が発表”. AFP BB News. フランス通信社 (2019年11月20日). 2020年2月18日閲覧。
  3. ^ a b ヒトラーの生家を警察署に、極右の「聖地化」阻止へ オーストリア”. CNN (2019年11月21日). 2020年2月18日閲覧。
  4. ^ ヒトラー生家、10月に改修工事開始 オーストリア内務省”. AFP BB News. フランス通信社 (2023年8月22日). 2024年5月6日閲覧。

外部リンク