ブライアン・ウィンターズ
ブライアン・ウィンターズ(Brian Winters, 1952年3月1日 - )はアメリカプロリーグNBAで活躍した元バスケットボール選手。ニューヨーク州ロッカウェイ出身、サウスカロライナ大学出身。ポジションはシューティングガード、身長193cm、体重84kg。キャリアの大半を過ごしたミルウォーキー・バックスでは彼が着用した背番号『32』が永久欠番となっている。現役引退後は指導者に転向し、NBA、女子プロリーグWNBAのヘッドコーチを歴任した。 経歴選手キャリアサウスカロライナ大学卒業後、1974年のNBAドラフトで1巡目12位指名を受けてロサンゼルス・レイカーズに入団。平均11.7得点をあげ、オールルーキー1stチームに選ばれている。ルーキーシーズン終了後、レイカーズは大物センター、カリーム・アブドゥル=ジャバー獲得のためウィンターズを放出し、ウィンターズはミルウォーキー・バックスに移籍した。以後、ウィンターズはバックスで1975-76シーズンから引退する1982-83シーズンまでの8シーズンを過ごすことになる。バックスではボブ・ダンドリッジらと共に中心選手として活躍し、移籍1年目には初のオールスターに選ばれ、キャリアハイの平均19.9得点4.9アシストを記録した1977-78シーズンにもオールスターに出場した。選手としてのウィンターズは優秀なジャンプシューターとして知られ、1979-80シーズンからNBAに新たに導入されたスリーポイントシュートにも即座に対応。3シーズンでスリーポイントシュート成功率トップ10入りを果たした。ジャバーの移籍後平凡な成績が続いていたバックスは、ドン・ネルソン指導のもとで再建が図られ、1980年代に入ると再び強豪へと返り咲いた。この頃にはシドニー・モンクリーフやマーカス・ジョンソンら新しい選手がチーム内で台頭していたが、ウィンターズはシックスマンとしてバックスの再建と躍進に貢献した。1982-83シーズンを最後に引退したウィンターズは翌1983-84シーズンの開幕戦に背番号『32』が永久欠番となった。
コーチキャリア現役引退後はプリンストン大学の名コーチ、ピート・カリルのもとで2年間コーチ術を学んだ後、NBAに戻ってクリーブランド・キャバリアーズやアトランタ・ホークスで7年間アシスタントコーチを務めた。1995年に誕生したばかりのバンクーバー・グリズリーズのヘッドコーチに就任。2シーズン采配を握ったが成績は振るわず、1996-97シーズン途中にコーチの任を解かれた。その後ゴールデンステート・ウォリアーズのアシスタントコーチに就き、2001-02シーズンにはデイブ・コーウェンスの解任に伴い、ヘッドコーチに昇格したが、シーズン終了後にウィンターズも解任された。2004年には女子プロリーグWNBAのインディアナ・フィーバーのヘッドコーチに就任し、2度プレーオフ出場に導いている。NBAコーチ通算成績は36勝148敗、勝率.196だった。 ヘッドコーチ成績
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