フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 (ザクセン=アルテンブルク公)
フリードリヒ・ヴィルヘルム2世(ドイツ語:Friedrich Wilhelm II., 1603年2月12日 - 1669年4月22日)は、ザクセン=アルテンブルク公(在位:1639年 - 1669年)。 生涯フリードリヒ・ヴィルヘルム2世は、ザクセン=ヴァイマル公フリードリヒ・ヴィルヘルム1世とその2番目の妃アンナ・マリア・フォン・プファルツ=ノイブルクの末息子である。父の死から8か月後に生まれた。 生後まもなく、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世と兄たちはザクセン=アルテンブルクを継承した。1618年までザクセン選帝侯クリスティアン2世およびヨハン・ゲオルク1世が後見人をつとめ、その後は兄ヨハン・フィリップが公領の統治と弟たちの後見人をつとめた。 1632年までに2人の兄が死去し、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世と兄ヨハン・フィリップが共同統治をおこなうこととなった。しかし実際にはヨハン・フィリップが事実上は単独の統治者であった。1639年にヨハン・フィリップが死去するまではフリードリヒ・ヴィルヘルム2世は名目上の統治者であり[1]、兄の死後にフリードリヒ・ヴィルヘルム2世は単独統治を開始した。 1660年、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世はテマールおよびマイニンゲンの町を手に入れた。1664年にフンメルスハインに狩猟館(Jagdschloss)を建設し、1665年には2番目の妃マグダレーナ・ジビュレのため、アルテンブルクに「マグダレーネンシュティフト」と呼ばれる美しい寡婦館(Witwensitz)を建設した[2]。 フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の死後、次男で唯一生存していた息子フリードリヒ・ヴィルヘルム3世が公位を継承した。 結婚と子女1638年9月18日にアルテンブルク城において、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世はクリスティアン・ヴィルヘルム・フォン・ブランデンブルクの一人娘ゾフィー・エリーザベトと結婚した[1]。ゾフィー・エリーザベトはその12年後に子女なく死去した。 1652年10月11日にドレスデンにおいて、かつて後見人をつとめたザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク1世の娘マグダレーナ・ジビュレと再婚した。2人の間には3子が生まれた[1]。
脚注
参考文献
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