フリッツ・ヴァイツェル
フリードリヒ・「フリッツ」・フィリップ・ヴァイツェル(ドイツ語: Friedrich „Fritz“ Philipp Weitzel、1904年4月27日- 1940年6月19日)は、ナチス・ドイツの親衛隊(SS)の将軍。最終階級は親衛隊大将。 略歴ドイツ帝国領邦プロイセン王国ヘッセン=ナッサウ県の都市フランクフルト・アム・マインで陸軍中尉の息子として生まれる[1]。当初は錠前師と機械工の訓練を受けて働いた[1]。 1924年に突撃隊に入隊、1925年9月に国家社会主義ドイツ労働者党に入党している(党員番号18,833)。1926年には親衛隊へ入隊した(隊員番号408)。ヴァイツェルはナチ党及び親衛隊内部で急激に昇進を遂げており、1927年には親衛隊少佐、1928年から1929年にかけて、ラインラント、ラインプファルツ、ヘッセン=ナッサウの親衛隊の管理職に就き、1929年11月18日に親衛隊大佐へと昇進している[1]。1930年ドイツ国会選挙で国会議員に当選し、1931年12月には親衛隊中将へと昇進した。 1932年5月12日のヘルムート・クロッツに対する暴行の罪によりエドムント・ハイネス、ヴィルヘルム・シュテークマンと共に懲役3か月の刑を受けている。 ナチ党政権獲得後の1933年5月1日にデュッセルドルフ警察長官へと任じられる。1934年9月9日には親衛隊大将に昇進した。1938年6月11日からは「西」親衛隊及び警察高級指導者に任命された。1939年には『SSの儀礼生活規定書』を著している[2]。ドイツ軍によるノルウェー占領後の1940年4月20日には「北」親衛隊及び警察高級指導者へと任命された。 「西」親衛隊及び警察高級指導者の地位はテオドール・ベルケルマンと交代している。 1940年6月19日に、デュッセルドルフでの帰省休暇中に空襲によって死亡した。「北」親衛隊及び警察高級指導者の地位はヴィルヘルム・レディースが務めた。 キャリア階級受章歴
参考文献
外部リンク脚注 |