フェルデン (アラー) (ドイツ語 : Verden (Aller) , ドイツ語発音: [ˈfeːɐ̯dn̩] [ 2] 、フェーアデンとも発音される)は、ドイツ連邦共和国 ニーダーザクセン州 のフェルデン郡 に属す郡庁所在都市である。この街はヴェーザー川 中流域の、アラー川 がヴェーザー川に合流する河口部に位置している。この街は馬の生産と馬術競技 の中心地であり、このため「ライターシュタット」(騎馬都市)と称している。「アラー」という添え名は、ドイツ語 圏で古くから「フェルデン」と同じ名で呼ばれていたフランスの都市ヴェルダン と区別するために添えられていたのが習慣化したものである。
地理
フェルデンとアラー川
フェルデンはアラー川がヴェーザー川に合流する河口の直前に位置している。河口は市の西端をなしている。この都市はブレーメン から約35km、ハノーファー から約90kmの距離にある。フェルデン旧市街はアラー川東岸にあり、対岸はヘーニッシュ区である。隣接する市町村は、ランクヴェーデル 、ザムトゲマインデ・テディンクハウゼン 、ザムトゲマインデ・グラーフシャフト・ホーヤ (ニーンブルク/ヴェーザー郡 )、デルフェルデン 、キルヒリンテルン である。
市区
フェルデンは、インネンシュタット(中核市区)の他に7つの地区からなり、そのそれぞれに地区議会がある。
ボルステル
ダウエルゼン
デールベルゲン=フートベルゲン
アイッツェ
ヘーニッシュ
シャルンホルスト
ヴァレ
近隣市町村
歴史
古代
市の中心部に、鉄器時代 初期の定住地跡がある。「Ferdi in Saxonia」という名前でカール大帝 の文書に記されているのが現在の「Verden」(フェルデン)に近い名称での初めての記録である。この名前は「Furt」(徒渉地 )あるいは「Fähre」(渡し場 )を意味する。
中世
ザクセン戦争 におけるカール大帝による残虐行為は、782年 、ザクセン の支配地であったフェルデン周辺でピークに達した。フランク王 への臣従とキリスト教 への改宗を拒んだために、記録上4,500人の住民が処刑されたのである(「フェルデン血の裁判」)。
その後数世紀の間に、2つの核となる集落が結びついて1つの都市になっていった。それぞれの集落は、市庁舎 やヨハンニス教会のある北市と、宗教的な中心であったフェルデン聖堂やアラー川沿いの漁村からなる南市となった。カール大帝によるキリスト教化が進められる過程でフェルデン司教区 が設けられ、9世紀初めから1643年 までの間に50人がフェルデン司教 に就いた。フェルデンは1259年 3月12日にブレーメン の都市法にならったものを制定し、司教特権によって都市権 が授けられた。1568年 、プロテスタントの領邦君主でありフェルデン司教のエーバーハルト・フォン・ホレによってフェルデン司教区に宗教改革 がもたらされた。北市と南市は1667年 にスウェーデン 女王クリスティーナ によって強制的に合併させられた。
近世
フェルデンは15世紀 から三十年戦争 の終わりまで帝国自由都市 であった。ヴェストファーレン条約 により、帝国レーエン としてスウェーデン王の統治下に置かれた。
スウェーデン=ブランデンブルク戦争 では、フェルデンは1675年 に神聖ローマ帝国 諸侯とデンマーク との連合軍により占領され、1679年 の終戦までその占領下に置かれた。1679年 のサン・ジェルマン条約 により再びスウェーデン領となった。
フェルデンはその後1719年 に大北方戦争 を経てストックホルム条約 でブレーメンと共にブラウンシュヴァイク=リューネブルク選帝侯領(後のハノーファー王国 )に売却され、それがプロイセン に併合されたことに伴って1866年 にプロイセン王国領となった。
フェルデン市内グローセ・シュトラーセ
プロイセン時代から国家社会主義時代
商業、手工業、多くの官公庁や兵舎(騎馬砲兵隊)がフェルデンの発展を支えた。軍は現在も一部が残っている。フェルデンは1943年 から正式に捕虜特別裁判所の所在地となった[ 3] 。ヴェーラ家具工場、ガス製造所、いくつかの手工業作業所で強制労働が行われた。さらに1945年 1月から4月までノイエンガンメ強制収容所 の外部収容所がフェルデンに設けられ、ザクセンハインの親衛隊 (SS) 訓練施設を拡張し、SS司令部を建造する工事に8人の収容者が従事させられた[ 4] 。戦闘は、この街にそれほど大きな被害を及ぼさなかった。
戦後
1945年から1993年 までフェルデンはイギリス陸軍ライン軍団 、第7機甲師団の駐留地であった。市内にはシレジア 、東プロイセン 、ポンメルン 、ズデーテン地方 からの難民が新たな市民として定住した。1960年代には東欧 やアナトリア からのゲスト労働者 らも住み着いた。市は1985年に、市場開催権、貨幣鋳造権、関税権、専売権の獲得1000年祭を祝った。1990年以後、特にイギリス軍撤退後に空いた居住スペースに東欧からの移住者が増加している。
宗教
フェルデン聖堂
フェルデンは伝統的にプロテスタント =ルター派 が有力である。それ以外にも聖ヨーゼフ教会にはローマ・カトリック の首席司祭座が置かれている。また、福音派自由教会(シオン会)、自由キリスト教会、エホバの証人 、新使徒派教会 、アドベント教会 の組織がある。大聖堂から遠くないところにはイスラム教 のモスク もある。1938年まではユダヤ教 の組織があり、現在ヨハニスヴァルの司法センターがある付近にシナゴーグ があった。このシナゴーグは水晶の夜 事件で破壊された。アホルンヴェクとアイヒェンヴェクの角にあるユダヤ人墓地が、今でも当時のユダヤ人社会をしのばせる。
行政
フェルデン市長は第二次世界大戦後、1946年から2004年まで名誉市長と市監督官の二人体制であった。両者は最後の市監督官の任期が満了した後の2004年4月1日に統合された。
1945年 - 1946年 ヨハン・ティース(占領軍の指名による)
名誉市長
1946年 - 1948年 アンドレアス・ヴィルムゼン (DP-CDU )
1948年 - 1951年 グスタフ・シェーファー (SPD )
1951年 - 1952年 アンドレアス・ヴィルムゼン (DP-CDU)
1952年 - 1956年 グスタフ・シェーファー (SPD)
1956年 - 1961年 ハルトムート・フリードリヒス (Wahlgemeinschaft)
1961年 - 1964年 ヨハン・ティース (CDU)
1964年 - 1969年 クルト・ヴィンケル (SPD)
1970年 ハンス・トーネン (SPD)
1970年 - 1990年 ハルトムート・フリードリヒス (CDU)
1990年 - 2001年 ヴォルフガング・クリッペンドルフ (CDU)
2001年 - 2004年 アンゲーリカ・リュルマン (CDU)
市監督官
1946年 - 1947年 ヴェルナー・カッセバウム
1948年 - 1955年 グスタフ・ホフマン
1955年 - 1964年 ヘルゴ=フリッツ・テーヴェ
1964年 - 1985年 カイ・フュルグラーフ
1985年 - 2004年 ディルク・リヒター
市長
市議会
市議会は36人の議員で構成される。
紋章
図柄: 銀地に黒いナーゲルクロイツ(下端が尖った十字)
姉妹都市
文化と見所
市庁舎と聖ヨハニス教会
街並みと建築
歩行者専用区域のグルーセ・シュトラーセ(大通り)を含むアラー川沿いの旧市街、飲食街のルーゲンシュタインに面した聖堂街区、シュタットハレ(市立ホール)、聖堂参事館、鉄道博物館、アラー川の観光船。
ゴシック様式 のフェルデン聖堂。13 - 15世紀の三廊式ホール教会である。
ロマネスク様式 の聖アンドレアス教会。司教イゾー・フォン・ヴェルペの廟がある。
聖ヨハニス教会。北ドイツで最も古いレンガ造り建造物の一つである。
旧市庁舎。
建物の少ないアラー川対岸のヘーニッシュ区から見た旧市街のパノラマ。
博物館と遊園地
聖堂参事館は、市内の最も古い街区であるフィッシャー街(漁師街)にあり、フェルデン歴史博物館が入居している。ここには人類最古の3つの木製器具の一つである「レーリンゲンの槍」やネアンデルタール人 のグループが森の象を狩った事を示す出土品群が収蔵されており、人類史 の研究上世界的に重要な施設である。
ホルツマルクトのドイツ馬博物館。ドイツで唯一の馬の文化史博物館で、馬が人との暮らしの中で果たしてきた役割について展示している。
マジック・パーク・フェルデンは、魔法 や童話 をテーマとする子供のための遊園地 である。
自然と記念碑
ザクセンハイン(ダウエルゼン区)には、大きなオーク (de:Eichen )の木の両側に4,500個の石を敷いた小径がある。これは、ここで処刑されたザクセン人 を記念して1935年に造られたものである。
聖堂墓地には、柵が人目を引く「ゴルトマンの墓」がある。ここに葬られているフランツ・ゴルトマンは1818年5月11日に狩猟の事故により20歳で亡くなった。父親のハルツ・クリストフ・ゴルトマンは息子の遺産として1,000ターラーで基金を創った。毎年5月11日に、毎年この日に結婚する「非の打ち所がない高潔な女性」で、その前日にフランツ・ゴルトマンの墓に花を捧げ、祈りを唱えた者に30ターラーを贈ることにした。この遺贈は現在も行われている。
フェルデン市近郊にはフェルデン砂丘自然保護区がある。
旧市街にはドイツで唯一のジョン・レノン 記念碑がある。これはジョン・レノンが出演した映画『ジョン・レノンの 僕の戦争 』がフェルデンで撮影されたことを記念したものである。
年中行事
馬の競市、国内・国際馬上試合、競馬、その他馬に関わる催し物やレジャースポーツ。
フェルデン聖堂祭: 北ドイツで最も古い大衆祭の一つ。6月初め。
喜びの主日の贈り物: パン とニシン が振る舞われる。
聖堂祝祭劇: 聖堂の影で季節毎に行われる野外演劇。
フェルデン・ジャズ とブルース の日。
短編映画祭「フィルムザラート」(映画サラダ)。1987年から行われている。
アウトゾーンターク(自動車の日曜日)。年に1回行われる。
スポーツとショー。年に1回、多くは1月に行われる。
フェルデン・ダンスナイト。年に3回行われる。
経済と社会資本
経済
市内にある大きな企業には以下のものがある: ペット用品のマース・ペットケア、ケーキ とワッフル のハンス・フライターク、冷蔵・冷凍倉庫・流通業のノルトフロスト、食肉加工のバーデンホープ、機械製造の Focke & Co. 包装機械、Vemag 機械および施設製造、Thom 金属・機械製造、KHSヘンゼン包装 GmbH、電子産業のブロック・トランスフォーマトーレン、土木・建設業のマタイ道路建設、ホルツカム建設、動物ブリーダーのマスターリント GmbHなどがある。市の周辺には特に馬の生産者や乳製品関連産業に携わる者が多い。
交通
道路
フェルデンは連邦アウトバーン A27号線(クックスハーフェン - ブレーメン - ヴァルスローデ )、連邦道B215号線(ローテンブルク (ヴュンメ) - ニーンブルク/ヴェーザー - ミンデン )および州道L171号線(フェルデン - フィッセルヘーヴェデ - シュネーファーディンゲン )とL203号線に面している。ベルリン工科大学 の建築博物館には、「フェルデンのアラー橋」の建設状況を示す3枚の写真が保存されている[ 5] 。
鉄道
フェルデンは鉄道ブレーメン - ハノーファー線およびミンデンからローテンブルク (ヴュンメ)に至るヴェーザー=アラー鉄道の沿線に位置する。両路線はともにドイツ鉄道 の鉄道網の一部をなす。フェルデン (アラー) 駅にはインターシティ 、レギオナルエクスプレス 、レギオナルバーン の列車が停車する。将来はブレーメンSバーン 網に組み込まれる予定である。
この他に、フェルデンはフェルデン - ヴァルスローダー鉄道GmbH (VWE) の本社所在地でもある。この会社はフェルデンからシュテンメン までの12.5kmの区間と、ベーメ (ドイツ語版 ) からヴァルスローデ までの路線を運営している。以前は両路線は接続されていた。VWEの路線は貨物列車 と時折保存鉄道 が走るだけである。マースの工場はVWEの路線によって鉄道網と結ばれている。
近郊公共旅客鉄道
市内を地方ローカルバスが運行している。フェルデンはブレーメン=ニーダーザクセン交通連盟に加盟している。市内の交通とキルヒリンテルンへの路線はフェルデン交通会社 (VVG)(VWEの子会社である)が運営している。これ以外の路線はほとんどフェルデン - ヴァルスローデ鉄道会社が、そして残りのわずかな路線をヴェーザー=エムス・バス (WEB) が運営している。
アラー川の観光船
水路
市の中核部には、船の航行(ほんのわずかなスポーツボートや観光船が航行するだが)が可能なアラー川 に面している。アラー川は市の北側(ダウエルゼン近郊のアイセル地区)でヴェーザー川 に合流する。ヴェーザー川は産業用船舶の航行に利用される。
この2本の川に挟まれた地域は冬の終わりに定期的に洪水が起きる。このため州道203号線(フェルデン - ブレンダー )やアイセル - フェルデン間の郡道、アイセル - ランクヴェルト間の郡道はそのたびに通行止めになる。この間アイセル地区はボートでしか行くことができなくなり、ブレンダー方面からの自動車やオートバイはホーヤ やアヒム を経由する何kmもの迂回路を通らなければならない。
フェルデン=シャルンホルスト飛行場
空路
フェルデン=シャルンホルストにはフェルデン=シャルンホルスト飛行場(ICAOコード: EDWV)がある。この飛行場は地方交通飛行場に分類され、最大離陸重量 は2000kgまでである。
公共施設
市役所
市立図書館
自衛消防団
汚水処理場(民営)
教育
基礎課程学校 5校
本課程学校: クラウス・シュテルテベーカー・シューレ
特殊学校: アンドレアス・シューレ、ヤヌシュ・コルチャック・シューレ
実科学校
ギムナジウム ・アム・ヴァルト
ドームギムナジウム・フェルデン: 1002年以前に創立された。
フェルデン職業教育学校: フェルデンで最も学生数が多い。
郡立市民大学
病院
フェルデンは、アヒムとともに一般診療病院であるアラー=ヴェーザー病院の所在地である。
社会施設
スポーツ
フェルデンには40以上のスポーツクラブがあり、様々なスポーツの機会が多い。多くの小さなグランドや体育館の他に、ベルリナー・リンクのスタジアムとアラー=ヴェーザー・ハレが大規模なスポーツ施設として挙げられる。ニーダーザクセンハレでは主に騎馬競技や動物のオークション が開催されている。
家畜生産
フェルデンは馬生産の中心地である。ハノーファー馬連盟の本部はフェルデンにあり、ニーダーザクセンハレでは国際的な買い付け人が来るハノーファー・オークションが開催される。また、牛生産も重要な役割を担っている。地元のマスターリントGmbHは、やはりニーダーザクセンハレで牛のオークションを行っている。
その他
フェルデンの名が付けられたエアバスA319
ルフトハンザ のエアバスA319 -114(D-AILU、シリアルナンバー: 744)に1977年、フェルデンという名が付けられた。これ以前にはボーイング737 -230(D-ABMF、23158/1089)にこの街の名が付けられていた。
フェルデン市は、1966年にドイツ海軍 の高速艇「ヒエーナ」に対する支援関係を締結した。この艦艇はヴァーネミュンデ を母港とする第7高速船隊に属している。
人物
ゆかりの人物
引用
^ Landesamt für Statistik Niedersachsen, LSN-Online Regionaldatenbank, Tabelle A100001G: Fortschreibung des Bevölkerungsstandes, Stand 31. Dezember 2023
^ Max Mangold, ed (2005). Duden, Aussprachewörterbuch (6 ed.). Dudenverl. p. 814. ISBN 978-3-411-04066-7
^ Joachim Woock, Rede anlässlich der Wanderausstellung "Justiz im Nationalsozialismus", 2002
^ Marc Buggeln: In: Wolfgang Benz, Barbara Distel 編: Der Ort des Terrors. Geschichte der nationalsozialistischen Konzentrationslager. Bd. 5, Hinzert, Auschwitz, Neuengamme. Beck-Verlag, München 2007, p. 530. ISBN 3-406-52965-8
^ アラー橋建造時の3枚の写真
参考文献
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Das Weinkaufsbuch, Übertragung von Carl-Christian Hesse 1988
Urgroßvaters Tagebuch, Max Lehmann 1936-1989
J. C. Trumph: 1744 - Die Verdener, ihre Gesundheit und ihr Bier. Neubearbeitung: F. Schmitz, W. Schöttler, 1991
Otto Voigt: Bauernreihen in den Dörfern der Kirchspiele das alten Amtes Verden. 2 Bände, 1993
Margarethe Wolters: Testamente 1774-1850. 2 Bände, o.J. (ca. 1994)
Björn Emigholz: Die Tagebücher der Gertrud Schädla 1914 - 1918. 2000
Jürgen Siemers: Das historische Verden. 2000
Edmund von Lührte: Die Holzmarktkaserne im Wandel zu einem neuen Zentrum städtischen Lebens. 2002
Joachim Woock: Zwangsarbeit ausländischer Arbeitskräfte im Regionalbereich Verden/Aller (1939-1945). 2004
Daniela Piplat: Entwicklung und gegenwärtige Struktur der Pferdehaltung im Raum Verden. 2005
Bernd Kappelhoff, Jan Lokers: Verdener Gerichts- und Geschichtsquellen 1663-1909. 2006
Elisabeth Söhl: Scharnhorst. 1981
Otto Voigt: Walle. 1981
Else Arens: Eitze. 1989
Jürgen Siemers: Döhlbergen-Hutbergen. 1995
Arbeitskreis Dorfchronik (Hrsg.): Eissel. 1996
Arbeitskreis Dorfchronik: (Hrsg.): Dauelsen. 1996
Jürgen Siemers, Arbeitskreis Dorfchronik (Hrsg.): Hönisch. 1997
Heimatverein Borstel in Verden e.V. (Hrsg.): Borstel. 2004
Karl Nerger: Verden stellt sich vor. Ein Führer für Touristen. Verden (Aller) 1981, 24 S. m. 12 Abb.
Jürgen Bohmbach: Verden. In: Herbert Obenaus (Hrsg. in Zusammenarbeit mit David Bankier und Daniel Fraenkel): Historisches Handbuch der jüdischen Gemeinden in Niedersachsen und Bremen. Band 1 und 2 (1668 S.), Göttingen 2005, p. 1518-1523 ; ISBN 3-89244-753-5