フェルディナント・フォン・プロイセン
フェルディナント・フォン・プロイセン(Ferdinand von Preußen, 1730年5月23日 - 1813年5月2日)は、プロイセン王国の王族・軍人。フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の七男で、フリードリヒ2世の弟。 生涯フリードリヒ・ヴィルヘルム1世とその妃であったイギリス王ジョージ1世の王女ゾフィー・ドロテア(1687年 - 1757年)の第14子(末子)として、1730年5月23日にベルリンで生まれた。全名はアウグスト・フェルディナント(August Ferdinand)。 フェルディナントは1755年9月27日、姉ゾフィー・ドロテアとその夫ブランデンブルク=シュヴェート辺境伯フリードリヒ・ヴィルヘルムの間の娘アンナ・エリーザベト・ルイーゼ(1738年 - 1820年)と結婚し、彼女との間に以下の五男二女をもうけた。 フェルディナントは1813年5月2日にベルリンで死去し、当地のベルリン大聖堂に葬られている。 子女結婚して六年後に第一子フリーデリケが誕生した。そののちフェルディナントは心身を崩し、子供も期待できなくなったが、結婚して十四年が過ぎた頃、妻ルイーゼは立て続けに六人の子供を生んだ。子供達の父親は軍人・地理学者のシュメッタウ伯爵フリードリヒ(1743年 - 1806年)なのではないかと噂になった[1]。
脚注
参考文献Merete van Taack『Königin Luise : die unbesiegbare Liebe』1981年 外部リンクウィキメディア・コモンズには、フェルディナント・フォン・プロイセンに関するカテゴリがあります。
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