2010年時点のフィンランドの人口密度 。
2005年時点のフィンランドの人口ピラミッド 。左が男性で右が女性である。
フィンランドの人口統計 (フィンランドのじんこうとうけい、英語 : Demographics of Finland )では、フィンランド共和国 の人口密度 、民族 構成、教育水準、国民の健康、経済、宗教などについて述べる。
フィンランドの人口は約550万人であり、人口密度の平均は17人/km2 である。これはヨーロッパ ではアイスランド とノルウェー に続いて3位の低さである。人口の分布は平均ではなく、南西の小さな海岸平原や中央部に集中している。人口の約85%が都市部に住んでおり、うち大ヘルシンキ地域 (英語版 ) だけで100万の人口がいる[ 1] 。一方、北極圏のラップランドでは人口密度がわずか2人/km2 である。
フィンランドは民族的にはやや単一な国である。主な民族はフィン人 であるが、歴史的な理由で少数民族としてスウェーデン系フィンランド人 、サーミ人 、ロマ人 (英語版 ) が存在する。移民により、ロシア系フィンランド人 (英語版 ) 、エストニア人 、ソマリ族 (英語版 ) も住むようになった。公用語 はフィンランド語 とスウェーデン語 であり、うちスウェーデン語はフィンランド人口の5%が母語話者である[ 2] 。13世紀から19世紀初まで、フィンランドはスウェーデン 領であった。
フィン人の73%が信者となっているフィンランド福音ルター派教会 がフィンランド最大の宗教である。
人口史
現フィンランドとスカンディナヴィア にあたる地域の最初の住民は狩猟採集民 であり、現代においてその末裔である可能性が最も高いのは以前ラップ人(Lapps )として知られていたサーミ人 である。現代のフィンランドでは約4,500人が生活していて少数民族として認知されており、北部サーミ語 、イナリ・サーミ語 、スコルト・サーミ語 を話す。彼らは北極圏 に7千年以上住んでいたが、現代ではラップランド でも5%の少数となっている。19世紀末から20世紀にかけて大規模な移住 がおきており、主に郊外からスウェーデン と北アメリカ へ移住していた。一方、フィンランドへの移住者はそのほとんどがヨーロッパ諸国から移動してきた者だった。
人口推移 年 人口 ±% 1750 421,000 — 1760 490,000 +16.4% 1770 560,000 +14.3% 1780 660,000 +17.9% 1790 706,000 +7.0% 1800 837,000 +18.6% 1810 863,000 +3.1% 1820 1,177,500 +36.4% 1830 1,372,100 +16.5% 1840 1,445,600 +5.4% 1850 1,636,900 +13.2% 1860 1,746,700 +6.7% 1870 1,768,800 +1.3% 1880 2,060,800 +16.5% 1890 2,380,100 +15.5% 1900 2,655,900 +11.6% 1910 2,943,400 +10.8% 1920 3,147,600 +6.9% 1930 3,462,700 +10.0% 1940 3,695,610 +6.7% 1950 4,029,800 +9.0% 1960 4,496,220 +11.6% 1970 4,598,330 +2.3% 1980 4,787,770 +4.1% 1990 4,998,480 +4.4% 2000 5,181,000 +3.7% 2010 5,375,300 +3.8% 2016 5,502,590 +2.4% 1812年までの人口は行政区画の変更に影響される可能性がある。
人口重心
フィンランドの人口重心 は2011年現在、カンタ=ハメ県 ハメーンリンナ のサッペー村(Sappee )にあり、その地理座標 は61' 17" N, 25' 07" Eである[ 3] 。
人口ピラミッド
2016年時点のデータは下記である[ 4] 。
0-14歳:男性461,432、女性441,244、合計922,676(16.7%)
15-64歳:男性1,752,201、女性1,707,224、合計3,459,425(62.6%)
65歳以上:男性492,143、女性643,967、合計1,136,110(20.5%)
世帯
第二次世界大戦後にフィンランドでおきた、人口と経済の大規模な転換はフィンランドの家族を大きく変えた。世帯は大幅に小さくなり、1950年時点では1世帯平均3.6人になっていたのが1975年には2.7人にまで下がった。一方、家族構成はそれほど変わらず、1975年時点では成年男性と成年女性1人ずつの家族が24.4%、夫婦と子供の家族が61.9%、女性1人と子供の家族が11.8%、男性1人と子供の家族が1.9%である。これらの比率は1950年時点のそれと大きく変わることはなかった。一方、1世帯ごとの子供の数は1950年の平均2.24人から1980年代中期の平均1.7人まで下がり、大家族がほとんど見られなくなった。子供1人の家族が51%、2人の家族が28%、3人の家族が9%、4人以上の家族がわずか2%となっている。18歳未満のフィン人の人数が1960年の150万人から1980年の120万人に下がった[ 5] 。
生死に関する統計
フィンランドの公式統計局であるティタストケスクス (英語版 ) のデータは下記の通りである[ 6] 。
フィンランドの人口増減(1900年-2016年)
年
平均人口(単位:千人)
出生数
死亡数
自然増加数
粗出生率(千人当り)
粗死亡率(千人当り)
自然増加率(千人当り)
総出産率
1900
2 646
86 339
57 915
28 424
32.6
21.9
10.7
4.83
1901
2 667
88 637
56 225
32 412
33.2
21.1
12.2
4.92
1902
2 686
87 082
50 999
36 083
32.4
19.0
13.4
4.79
1903
2 706
85 120
49 992
35 128
31.5
18.5
13.0
4.62
1904
2 735
90 253
50 227
40 026
33.0
18.4
14.7
4.85
1905
2 762
87 841
52 773
35 068
31.8
19.1
12.7
4.67
1906
2 788
91 401
50 857
40 544
32.8
18.2
14.5
4.81
1907
2 821
92 457
53 028
39 429
32.8
18.8
14.0
4.76
1908
2 861
92 146
55 305
36 841
32.2
19.3
12.9
4.65
1909
2 899
95 005
50 577
44 428
32.8
17.4
15.3
4.72
1910
2 929
92 984
51 007
41 977
31.7
17.4
14.3
4.60
1911
2 962
91 238
51 648
39 590
30.8
17.4
13.4
4.46
1912
2 998
92 275
51 645
40 630
30.8
17.2
13.5
4.45
1913
3 026
87 250
51 876
35 374
28.8
17.1
11.7
4.15
1914
3 053
87 577
50 690
36 887
28.7
16.6
12.1
4.13
1915
3 083
83 306
52 205
31 101
27.0
16.9
10.1
3.89
1916
3 105
79 653
54 577
25 076
25.7
17.6
8.1
3.69
1917
3 124
81 046
58 863
22 183
25.9
18.8
7.1
3.71
1918
3 125
79 494
95 102
-15 608
25.4
30.4
-5.0
3.60
1919
3 117
63 896
62 932
964
20.5
20.2
0.3
2.87
1920
3 133
84 714
53 304
31 410
27.0
17.0
10.0
3.76
1921
3 170
82 165
47 361
34 804
25.9
14.9
11.0
3.58
1922
3 211
80 140
49 180
30 960
25.0
15.3
9.6
3.43
1923
3 243
81 961
47 556
34 405
25.3
14.7
10.6
3.44
1924
3 272
78 057
53 442
24 615
23.9
16.3
7.5
3.22
1925
3 304
78 260
47 493
30 767
23.7
14.4
9.3
3.17
1926
3 339
76 875
47 526
29 349
23.0
14.2
8.8
3.02
1927
3 368
75 611
51 727
23 884
22.5
15.4
7.1
2.92
1928
3 396
77 523
48 713
28 810
22.8
14.3
8.5
2.92
1929
3 424
76 011
54 489
21 522
22.2
15.9
6.3
2.83
1930
3 449
75 236
48 240
26 996
21.8
14.0
7.8
2.75
1931
3 476
71 866
48 968
22 898
20.7
14.1
6.6
2.59
1932
3 503
69 352
46 700
22 652
19.8
13.3
6.5
2.46
1933
3 526
65 047
47 960
17 087
18.4
13.6
4.8
2.27
1934
3 549
67 713
46 318
21 395
19.1
13.1
6.0
2.33
1935
3 576
69 942
45 370
24 572
19.6
12.7
6.9
2.37
1936
3 601
68 895
49 124
19 771
19.1
13.6
5.5
2.31
1937
3 626
72 319
46 466
25 853
19.9
12.8
7.1
2.52
1938
3 656
76 695
46 930
29 765
21.0
12.8
8.1
2.52
1939
3 686
78 164
52 614
25 550
21.2
14.3
6.9
2.56
1940
3 698
65 849
71 846
-5 997
17.8
19.4
-1.6
2.15
1941
3 702
89 565
73 334
16 231
24.2
19.8
4.4
2.90
1942
3 708
61 672
56 141
5 531
16.6
15.1
1.5
2.00
1943
3 721
76 112
49 634
26 478
20.5
13.3
7.1
2.46
1944
3 735
79 446
70 570
8 876
21.3
18.9
2.4
2.56
1945
3 758
95 758
49 046
46 712
25.5
13.1
12.4
3.07
1946
3 806
106 075
44 748
61 327
27.9
11.8
16.1
3.41
1947
3 859
108 168
46 053
62 115
28.0
11.9
16.1
3.47
1948
3 912
107 759
43 668
64 091
27.5
11.2
16.4
3.47
1949
3 963
103 515
44 501
59 014
26.1
11.2
14.9
3.33
1950
4 009
98 065
40 681
57 384
24.5
10.1
14.3
3.16
1951
4 047
93 063
40 386
52 677
23.0
10.0
13.0
3.01
1952
4 090
94 314
39 024
55 290
23.1
9.5
13.5
3.06
1953
4 139
90 866
39 925
50 941
22.0
9.6
12.3
2.96
1954
4 187
89 845
37 988
51 857
21.5
9.1
12.4
2.93
1955
4 235
89 740
39 573
50 167
21.2
9.3
11.8
2.93
1956
4 282
88 896
38 713
50 183
20.8
9.0
11.7
2.91
1957
4 324
86 985
40 741
46 244
20.1
9.4
10.7
2.86
1958
4 360
81 148
38 833
42 315
18.6
8.9
9.7
2.68
1959
4 395
83 253
38 827
44 426
18.9
8.8
10.1
2.75
1960
4 430
82 129
39 797
42 332
18.5
9.0
9.6
2.71
1961
4 461
81 996
40 616
41 380
18.4
9.1
9.3
2.65
1962
4 491
81 454
42 889
38 565
18.1
9.5
8.6
2.66
1963
4 523
82 251
42 010
40 241
18.2
9.3
8.9
2.66
1964
4 549
80 428
42 512
37 916
17.7
9.3
8.3
2.58
1965
4 564
77 885
44 473
33 412
17.1
9.7
7.3
2.46
1966
4 581
77 697
43 548
34 149
17.0
9.5
7.5
2.41
1967
4 606
77 289
43 790
33 499
16.8
9.5
7.3
2.32
1968
4 626
73 654
45 013
28 641
15.9
9.7
6.2
2.15
1969
4 624
67 450
45 966
21 484
14.6
9.9
4.6
1.94
1970
4 606
64 559
44 119
20 440
14.0
9.6
4.4
1.83
1971
4 612
61 067
45 876
15 191
13.2
9.9
3.3
1.70
1972
4 640
58 864
43 958
14 906
12.7
9.5
3.2
1.59
1973
4 666
56 787
43 410
13 377
12.2
9.3
2.9
1.50
1974
4 691
62 472
44 676
17 796
13.3
9.5
3.8
1.62
1975
4 711
65 719
43 828
21 891
14.0
9.3
4.6
1.69
1976
4 726
66 846
44 786
22 060
14.1
9.5
4.7
1.72
1977
4 739
65 659
44 065
21 594
13.9
9.3
4.6
1.69
1978
4 753
63 983
43 692
20 291
13.5
9.2
4.3
1.65
1979
4 765
63 428
43 738
19 690
13.3
9.2
4.1
1.64
1980
4 780
63 064
44 398
18 666
13.2
9.3
3.9
1.63
1981
4 800
63 469
44 404
19 065
13.2
9.3
4.0
1.65
1982
4 827
66 106
43 408
22 698
13.7
9.0
4.7
1.72
1983
4 856
66 892
45 388
21 504
13.8
9.3
4.4
1.74
1984
4 882
65 076
45 098
19 978
13.3
9.2
4.1
1.70
1985
4 902
62 796
48 198
14 598
12.8
9.8
3.0
1.64
1986
4 918
60 632
47 135
13 497
12.3
9.6
2.7
1.60
1987
4 932
59 827
47 949
11 878
12.1
9.7
2.4
1.59
1988
4 946
63 316
49 063
14 253
12.8
9.9
2.9
1.70
1989
4 964
63 348
49 110
14 238
12.8
9.9
2.9
1.71
1990
4 986
65 549
50 028
15 521
13.1
10.0
3.1
1.79
1991
5 014
65 680
49 271
16 409
13.1
9.8
3.3
1.80
1992
5 042
66 877
49 523
17 354
13.3
9.8
3.4
1.85
1993
5 066
64 826
50 988
13 838
12.8
10.1
2.7
1.81
1994
5 088
65 231
48 000
17 231
12.8
9.4
3.4
1.85
1995
5 108
63 067
49 280
13 787
12.3
9.6
2.7
1.81
1996
5 125
60 723
49 167
11 556
11.8
9.6
2.3
1.76
1997
5 140
59 329
49 108
10 221
11.5
9.6
2.0
1.75
1998
5 153
57 108
49 283
7 825
11.1
9.6
1.5
1.71
1999
5 165
57 574
49 345
8 229
11.1
9.6
1.6
1.73
2000
5 176
56 742
49 339
7 403
11.0
9.5
1.4
1.73
2001
5 188
56 189
48 550
7 639
10.8
9.4
1.5
1.73
2002
5 201
55 555
49 418
6 137
10.7
9.5
1.2
1.72
2003
5 213
56 630
48 996
7 634
10.9
9.4
1.5
1.76
2004
5 228
57 758
47 600
10 158
11.0
9.1
1.9
1.80
2005
5 246
57 745
47 928
9 817
11.0
9.1
1.9
1.80
2006
5 266
58 840
48 065
10 775
11.2
9.1
2.0
1.84
2007
5 289
58 729
49 077
9 652
11.1
9.3
1.8
1.83
2008
5 313
59 530
49 094
10 436
11.2
9.2
2.0
1.85
2009
5 339
60 430
49 883
10 547
11.3
9.3
2.0
1.86
2010
5 375
60 980
50 887
10 103
11.4
9.5
1.9
1.87
2011
5 403
59 961
50 585
9 376
11.1
9.4
1.7
1.83
2012
5 426
59 493
51 707
7 786
10.9
9.5
1.4
1.80
2013
5 450
58 120
51 190
6 940
10.7
9.4
1.3
1.75
2014
5 472
57 232
52 186
5 046
10.5
9.5
1.0
1.71
2015
5 486
55 472
52 492
2 980
10.1
9.5
0.6
1.65
2016 (暫定)
5 502
52 645
53 629
-984
9.6
9.7
-0.1
1.57
2017年9月時点の統計は下記の通り[ 7] 。
2016年1月-9月の出生数: 40,580
2017年1月-9月の出生数: 38,311
2016年1月-9月の死亡数: 39,888
2017年1月-9月の死亡数: 39,824
2016年1月-9月の自然増加数: 692
2017年1月-9月の自然増加数: -1,513
出生時点の平均余命
年
男性
女性
合算
1986
70.5
78.7
74.7
1996
73.0
80.5
76.8
2006
75.8
82.8
79.4
2008
76.3
83.0
79.7
2009
76.5
83.1
79.8
2010
76.7
83.2
80.1
2011(e)
77.2
83.5
80.8
(e) = 推計
結婚
結婚に対する態度は第二次世界大戦以降、大きく変化した。最も顕著なのが結婚率であり、1950年には1,000人ごとに8.5件の結婚があったのが、1984年には5.8件まで下がり、人口増加を加味しても結婚自体の件数が下がったのは明らかである。1950年には結婚の件数が3万4千件あったのが1984年には80万の人口増にもかかわらず結婚は28,500件しかなかった。結婚の減少の理由には結婚しないカップルが増えたことが挙げられる。1960年代末期以降、同居の慣習がどんどんと広まり、1970年代末には都市部における結婚のほとんどが「オープン・ユニオン」(Open union )から発展したものとなっていた。1980年代の推計では同棲したカップの約8%(約20万人)が結婚しないまま死亡したという。オープン・ユニオンが結婚する理由は一般的には子供が生まれたか、住宅 を購入したためである。同居の慣習が広まった結果は婚期が遅くなり、結婚の平均年齢はそれまで下がり続けたが1970年代には上昇に転じ、1982年には結婚年齢の平均が女性では24.8歳、男性では26.8歳となっており、どちらも10年前より上昇していた[ 8] 。
しかし、フィンランド人の大半は結婚した。女性の約9割が40歳までに結婚しており未婚のまま過ごす者は少なかった。一方、郊外では女性が不足していたため農民の一部が独身を強いられていた[ 8] 。
結婚の数が減少していった一方、離婚は1950年から1980年までの間で250%上昇した。1952年には離婚が3,500件あったが、1960年代は上昇を続け、年間約5,000件にまでなった。1979年には10,191件まで増えたが、その後は1980年代前半に約9,500件で推移した[ 8] 。
離婚が増えた理由はいくつかあった。まず、フィンランドの社会において世俗化 が進んだため、パートナーが適合しなければ結婚は終結できるものであるとみられるようになった。次に、社会福祉がだんだんと充実してきたため家族の役割が福祉に奪われるようになり、カップルが結婚の制度に頼らなくても済むようになった。そして、政府が育児休業 、児童手当 、保育所 の計画、保健計画と年金制度 の改善などの政策を打ち出したため、子育てと親世代の介護に家族を必ずしも必要としなくなった。さらに、1960年代と1970年代における経済の転換期、および「大移動」(英 : Great Migration )と呼ばれた大規模な移民により家族の間、そして婚姻による関係が希薄になった。それまでの社会生活の型が破綻したため不安定さが増し、また夫婦の関係に亀裂が生じる可能性が高くなった[ 5] [ 8] 。
少数人種と言語
2016年時点のフィンランドの地方自治体が使う言語。 フィンランド語のみ
フィンランド語が主、スウェーデン語が少数
スウェーデン語が主、フィンランド語が少数
スウェーデン語のみ
フィンランド語が主、サーミ語が少数
人種についての公式統計はない。しかし、言語、市民権と出生国ごとの人口についての統計はある。国際で推奨された基準では人種が歴史的、地域的または民族的起源への認識に基づくべきであり、また必ず本人の申告に基づかなければならないとした。フィンランドの国勢調査 が名簿に基づいたものであるため、フィンランドは人種についての公式統計を出すことができない[ 9] 。
フィンランド語とスウェーデン語が公用語として定められている。スウェーデン語はスウェーデン語を話す人口が多い地方自治体では自治体の公用語になっていることもある[ 10] 。サーミ3言語(北部サーミ語 、イナリ・サーミ語 、スコルト・サーミ語 )はラップランドのいくつかの自治体で公用語になっている[ 11] 。
フィン人 はフィンランド語 を話す。フィンランド語はフィンランド全国においてもオーランド諸島 を除いて支配的な言語になっている。
1990年から2015年まで、オーランド諸島を除いたフィンランド本土の言語ごとの人口は下記の通り[ 12] 。なお、「使用言語」(Working language )で指定されているため、バイリンガルという選択肢はない。
フィンランドにおける母語ごとの人口、1990年-2015年
母語
1990
1995
2000
2005
2015
人数
%
人数
%
人数
%
人数
%
人数
%
フィンランド語
4,675,223
93.5%
4,754,787
92.9%
4,788,497
92.4%
4,819,819
91.7%
4,865,628
89%
スウェーデン語
296,738
5.9%
294,664
5.8%
291,657
5.6%
289,675
5.5%
290,161
5.3%
ロシア語
3,884
0.1%
15,872
0.3%
28,205
0.5%
39,653
0.8%
72,436
1.3%
エストニア語
1,394
0%
8,710
0.2%
10,176
0.2%
15,336
0.3%
48,087
0.8%
ソマリ語
0
0%
4,057
0.1%
6,454
0.1%
8,593
0.2%
17,871
0.3%
英語
3,569
0.1%
5,324
0.1%
6,919
0.1%
8,928
0.2%
17,784
0.3%
アラビア語
1,138
0%
2,901
0.1%
4,892
0.1%
7,117
0.1%
14,825
0.3%
クルド語
179
0%
1,381
0%
3,115
0.1%
5,123
0.1%
10,731
0.2%
中国語
790
0%
2,190
0%
2,907
0.1%
4,613
0.1%
10,110
0.2%
アルバニア語
0
0%
2,019
0%
3,293
0.1%
5,076
0.1%
8,754
0.2%
ペルシア語
291
0%
803
0%
1,205
0%
3,165
0.1%
8,103
0.1%
タイ語
244
0%
813
0%
1,458
0%
3,033
0.1%
8,038
0.1%
ベトナム語
1,643
0%
2,785
0.1%
3,588
0.1%
4,202
0.1%
7,532
0.1%
トルコ語
848
0%
1,809
0%
2,435
0%
3,595
0.1%
6,766
0.1%
スペイン語
894
0%
1,394
0%
1,946
0%
2,937
0.1%
6,583
0.1%
ドイツ語
2,427
0%
2,719
0.1%
3,298
0.1%
4,114
0.1%
6,059
0.1%
ポーランド語
901
0%
1,129
0%
1,157
0%
1,445
0%
4,459
0.1%
フランス語
670
0%
1,062
0%
1,585
0%
2,071
0%
3,736
0.1%
ルーマニア語 モルドバ語
94
0%
368
0%
617
0%
909
0%
2,878
0.1%
ハンガリー語
573
0%
732
0%
1,089
0%
1,206
0%
2,671
0%
タガログ語
118
0%
375
0%
568
0%
764
0%
2,618
0%
ベンガル語
93
0%
373
0%
524
0%
920
0%
2,603
0%
ウクライナ語
11
0%
113
0%
337
0%
611
0%
2,436
0%
イタリア語
403
0%
574
0%
833
0%
1,177
0%
2,291
0%
ポルトガル語
171
0%
297
0%
433
0%
865
0%
2,250
0%
ウルドゥー語
79
0%
179
0%
309
0%
594
0%
2,186
0%
ブルガリア語
230
0%
400
0%
486
0%
629
0%
2,114
0%
ボスニア語
0
0%
0
0%
0
0%
1,186
0%
2,071
0%
サーミ語
1,734
0%
1.726
0%
1,734
0%
1,752
0%
1,949
0%
ヒンディー語
147
0%
239
0%
428
0%
779
0%
1,740
0%
オランダ語
277
0%
408
0%
650
0%
960
0%
1,446
0%
ラトビア語
20
0%
76
0%
169
0%
391
0%
1,318
0%
日本語
274
0%
386
0%
561
0%
798
0%
1,224
0%
リトアニア語
30
0%
94
0%
166
0%
375
0%
1,095
0%
ノルウェー語
402
0%
436
0%
471
0%
540
0%
648
0%
デンマーク語
290
0%
305
0%
397
0%
456
0%
526
0%
ヘブライ語
165
0%
232
0%
263
0%
348
0%
441
0%
その他
2,534
0.1%
5,084
0.1%
8,293
0.2%
11,825
0.2%
32,431
0.6%
スウェーデン系フィンランド人
フィンランドにおける最大の少数民族はスウェーデン系フィンランド人であり、2015年時点では29万人(人口の5.3%)となっている[ 12] 。スウェーデン系フィンランド人はスウェーデン国籍の人を指すわけではなく、スウェーデン語のフィンランド方言を話すフィン人を指す。しかし、スウェーデン系フィンランド人はスウェーデン人ともフィン人とも違う別の民族として扱われることもある。フィンランドの地方自治体は単言語か二言語で分かれており、スウェーデン語話者の大部分はスウェーデン語のみか、二言語の自治体に住む。これらの自治体は主に海岸地域のポフヤンマー県 から南海岸、およびオーランド諸島 に位置している[ 5] 。
サーミ人
サーミ人はフィン人とは非インド・ヨーロッパ語族 であるウラル語族 の言語を話すという共通点がある。最初はフィンランド全体に居住するが、やがてフィン人 の圧力でだんだんと北へ移動した。人口密度の低い土地に住む遊牧民であったため、サーミ人は常に狩猟、漁業、焼畑農業 などを行うための土地を見つけることができた。16世紀にはサーミ族の大半がフィンランドの北半分に住んでおり、キリスト教 に改宗したのもこの時期の出来事である。19世紀には大半がラップランドの一部に住み、それが1980年代でもそのままであった。サーミ族の集落が最後に大規模な移動を行ったのは1944年にペツァモ (英語版 ) がソビエト連邦 に割譲されたときであり、この割譲の結果スコルツ・サーミ人 (英語版 ) 600人が西方へ移動した。彼らが東方から来たことの名残りにはその正教会 の信仰であり、サーミ人の残りの85%はルター派の信者である[ 5] 。
1988年時点でフィンランドに4,400人いるサーミ人のうち、9割がエノンテキオ (英語版 ) 、イナリ 、ウツヨキ 、およびトナカイ の放牧地帯であるソダンキュラ に住んでいる。フィンランド政府の規定によると、サーミ語 のどれかを話すか、ほかのサーミ人の親族である者は国勢調査でサーミ人として登録される。フィンランドのサーミ人は3種類のサーミ語を話すが、1980年代末にはサーミ語を母語とした人はすでに少数になっているとされる。サーミ人の子供はサーミ語で授業を受ける権利があるが、教科書と資格のある教師が少ない。サーミ語で書かれた文書が少ない理由としてはサーミ語が3種類あることが挙げられ、これによりサーミ諸語の共通した正書法を定めることが困難である。1979年の研究ではサーミ人の教育水準がそれ以外のフィンランド人のそれよりもはるかに低いが、このことも理由として挙げられる[ 5] 。
旅行者用の小冊子や学校の教科書ではサーミ人が遊牧生活を送っていると形容しているが、現代のフィンランド・サーミ人で実際にそのような生活を送る者は少ない。ラップランドの郊外に住むサーミ人の多くが収入の一部をトナカイ放牧で得ているが、フィンランドに存在するトナカイ20万頭のうちサーミ人の財産であるのは3分の1以下とされている。トナカイ放牧だけで食っていくにはトナカイが250から300頭必要であり、この条件を満たすサーミ人はわずか5%である。多くのサーミ人は農業、建築業、そして観光事業などのサービス業に従事している。一般的なフィンランド人世帯より平均で2倍の人数を有するサーミ人の世帯では収入源が分散していることが多い。また、収入のうち年金と社会福祉が占める割合はサーミ人がフィンランド人全体よりも高い[ 5] 。
フィンランド政府は長年にわたってサーミ人の文化と生き方を守りつつ彼らが現代社会に適応できるようにしようとした。政府はサーミ人に対応するための組織やサーミ人の状況を調査するための委員会を設立したりした。一例としては1932年に設立されたラップ文化促進協会があり、1960年にはラップ人に関する諮問委員会を設立した。サーミ人も1945年にサーミ・リーット(Saami-liitto )を、続いて1968年により積極的に活動したヨホティ・サブメラッツァト(Johti Sabmelazzat )を設立した。1973年以降は定員20人で政府に助言するためのサーミ人議会を設立、4年ごとに選挙を行った。国際間では1956年にノルディック・サーミ評議会 (英語版 ) が設立され、以降各地のサーミ人(フィンランドのサーミ人以外にもノルウェーに2万人、スウェーデンに1万人、そしてロシアのコラ半島 に残ったサーミ人1千から2千人)を代表してコンファレンスを定期に開催した[ 5] 。
サーミ諸語は1992年以降、エノンテキオ (英語版 ) 、イナリ 、ウツヨキ 、およびソダンキュラ 北部で公用語の地位を得ている[ 11] 。2009年、フィンランドに住むサーミ人9,350人のうち55%がこれらの地域以外に住んでいる[ 13] 。
ロシア人
ロシア系フィンランド人 (英語版 ) は主に2波に分けてフィンランドに移民してきた。そのうち約5千人は19世紀と20世紀初期にフィンランドがフィンランド大公国 としてロシア帝国 の治下にあった時期に移民してきたロシア人の末裔であり、2波目はソビエト連邦 が解体した後に移民してきた者である。2波目の移民が起こった要因の1つに、フィンランド大統領 マウノ・コイヴィスト が行った、イングリア人を祖先とする者 にフィンランドへの移民を許可するという国際法 の帰国権 (英語版 ) に基づく取り組みがある[ 14] 。
2015年時点では約3万人がロシア連邦 の市民権を有しており[ 15] 、約7万人(人口の1.3%)がロシア語 を母語としている[ 1] [ 12] 。
ロマニ人
ロマニ人 、またはカレ(Kale )、ロマは16世紀後半以降フィンランドに存在している。ロマニ人はその特別な服装、慣習、および特化した商売により悪目立ちしてしまい、フィンランドでの居住は快適なものではなかった。一般住民からも政府官僚からも常に嫌がらせされ、ロマニ人に対する最後の特別法が撤廃されたのは1883年の事であった。1980年代後半になってもフィンランドのロマニ人5千から6千は未だに独立したグループのままであり、ほかの住民とは自らの選択およびほかの住民の怖れと偏見によりほとんど隔離されていた[ 5] 。
フィンランドのロマはほかのロマと同じく、社会において優勢なグループとは分けて住んだ。ロマにとって、義理を尽くすべきのは家族とジプシー全体である。ロマと非ロマの結婚は珍しく、ロマの言語は1980年代にはそれを母語とする者が少ないにもかかわらず、「部外者」を追い出すのに使われた。ロマの社会における立ち位置は主に年齢と性別によって決定され、年配者の男性が権威を有する。ロマには高度に発展した価値体系と行動綱領があり、宿恨などによりロマの制裁(暴力的かそうでないかにかかわらず)が行われると、それはフィンランド人の社会における法的と社会的制裁よりも意味が重いものである[ 5] 。
ラップランドに集中しているサーミ人と違い、ロマニ人はフィンランド全体に点在している。多くのサーミ人は日常では普通の服を着るが、ロマニ人は服装で識別できることが多い。ロマニ人の男性は一般的には長靴を着て、女性はベルベットの長いスカートを着る。しかし、ロマニ人はサーミ人と同じく遊牧生活を捨てて定住している。ロマニ人男性は数世紀もの間馬の売買を商売としていたが、戦後のフィンランドに適応して馬のブリーダー 業や自動車ディーラー 、金属回収業者などを務めた。一方、ロマニ人女性は占いや手芸品など伝統的な稼業を続けた[ 5] 。
1960年代以降、フィンランド当局はロマニ人の生活水準を改善しようとし、その住処を大きく改善させた。ロマニ人の成人のうち約2割が読み書きできないという低い教育水準も職業教育 などで改善された。1968年、ジプシーに関する諮問委員会が設立され、1970年にはフィンランドの刑法 (英語版 ) が改正されて人種差別 が違法とされた。この改正により、ロマニ人をレストランや商店からの締め出し、店主や警察による過剰な見張りなど露骨な差別が禁止された[ 5] 。
ユダヤ人
フィンランドにおけるユダヤ人 は約1,300人で、うち800人がヘルシンキに住み、残りのほとんどがトゥルクに住んでいる。スウェーデンの統治期にはユダヤ人がフィンランドに定住することは禁止されたが、フィンランドがロシア帝国 領になると、ロシア軍に従軍したユダヤ人の退役軍人は自由に居住地を選ぶことができた。法律により職業が制限されたが、フィンランドのユダヤ人は主に服売りとなって成功し、1890年には約1千人がフィンランドに住んだ。フィンランドが独立すると、ユダヤ人は完全な公民権を獲得、戦間期 にはフィンランドでユダヤ人が約2千人居住しており、その大半が南部の都市部に住んでいる。第二次世界大戦中、フィンランド当局はユダヤ人をナチス・ドイツ に引き渡すことを拒否したため、フィンランドのユダヤ人のほとんどが戦争を生き残った。1980年代までに、フィンランド人との融合と他国への移住によりユダヤ人の人数が減少、辛うじてシナゴーグ 、学校、図書館などの施設を維持する程度となった[ 5] 。
タタール人
フィンランド・タタール人 (英語版 ) の人数はおよそ800人だった。タタール人がはじめてフィンランドにやってきたのは19世紀中期にヴォルガ地域 のニジニ・ノヴゴロド のタタール村から移住してきたときだった。タタール人はそれ以降フィンランドに残り、主に商業に従事した。タタール人は宗教、母語、民族の文化を維持しつつフィンランドの社会に溶け込んだ[ 16] 。
人口移動
外部移動
フィンランドの人口移動は中世にスウェーデン人が移民してきたことだけには終わらなかった。16世紀にはフィン人が出国してスウェーデンの鉱山で働くようになったが、隣国に移ることが国を挙げての慣習となり、1970年代まで続いた。ロシア領の時期にはフィン人約10万人が主にサンクトペテルブルク 近くのロシアに移住した。19世紀の後半に大規模な移民がおき、フィン人が全ヨーロッパの数百万人とともにアメリカ合衆国やカナダに向かったこと。フィンランドは1980年までにアメリカとカナダに約40万人の国民を移民で失った[ 5] 。
第二次世界大戦後、スウェーデンが近くで繁栄していたこともあり多くのフィン人がスウェーデンに移住した。スウェーデンへの移民ははじめゆっくりと起こったが、1960年代と1970年代の後半には毎年数万人がスウェーデンへ移住した。そのピークとなったのが1970年で、この年にはフィンランド人41,000人がスウェーデンに移住したためフィンランドの人口が減少した結果となった。多くの移民がその後フィンランドに帰国したため、実際の数字は計算できないが、戦後には約25万から30万のフィンランド人がスウェーデンの永住権を取得した。移民が主に若者だったため、フィンランドに残った労働者の質が下がり、出生率も下がった。フィンランド人子供のうち、8人に1人がスウェーデンで生まれた、という時期もあった。スウェーデン系フィンランド人の人数も下がり、1950年に35万人いたのが1980年には約30万人まで下がった。1980年代にはフィンランドの経済が好調だったためスウェーデンへの大規模移住が終結した。実際には毎年スウェーデンからフィンランド人数千人が帰国してきたため、人口の流動が逆方向になった[ 5] 。
内方移動
外部移動は長期的にはフィンランドの社会に影響を与えるが、内方移動、特に第二次世界大戦の終戦から1970年代中期における内方移動はフィンランドの社会に最も影響を与えた。当時、フィンランドの人口の半分が内方移動をした。第二次世界大戦以前の内方移動は数世紀にわたって、北方で集落を形成するために行われていた。しかし、19世紀の後半以降、遅れてやってきたフィンランドの工業化により人口が郊外から緩慢に南部へ、雇用のある地域へと移動した[ 5] 。
戦後の内方移動はソ連に割譲されたカレリア地域のほぼ全住民の再定住に始まった。フィンランドの人口の10%を占めた40万人以上の住民がフィンランド各地で、主に人口のより少ない東部と北部に移住した。これらの地域では新しく整地された土地がカレリアから逃れてきた住民に提供された。人口のより多い地域では資産が接収された。この移住は数年間で終わり、結果としては工業化された国で逆に農地が増えたという現象が起こった[ 5] 。
第二次世界大戦後、経済の転換期にあるフィンランドでは「大移動」(英 : Great Migration )と呼ばれた大規模な移民が起こった。この「大移動」では住民が郊外、特にフィンランド東部と北東部から工業化の進んだ都市部がある南部へ移住した。郊外の住民が離れたのは農業と林業 の機械化により仕事が少なくなったためであった。職を失った労働者は当時拡大していた工業とサービス業の仕事がある地域へと移動した。大移動は1950年代に開始したが、人口移動が最も激しいのは1960年代から1970年代初期にわたっての時期だった。この大移動で移住した国民の比率は第三世界 以外ではそれまで全く見られなかった高さであった。大移動により郊外では放棄された農地、減少した上に高齢化した住民しか残らず、一方南部では人口密度の高く、脱工業化した社会が形成した[ 5] 。
この人口移動の影響は下記の数字から見られる。1951年から1975年まで、フィンランド全体の人口は655,000人増加した。同時期には南部の小さなウーシマー州 の人口が670,000人から1,092,000人まで増加(412,000人の増加となる)、うち増加分の4分の3がほかの州からの移住であった。フィンランドの南部5州(オーランド諸島 、トゥルク・ポリ州 、ハメ州 、キュミ州 、ウーシマー州)の人口増が全国の人口増の97%を占め、中部と北部の州はわずか3%を占めたにすぎなかった。しかも東部の北カルヤラ州 、ミッケリ州 、クオピオ州 では人口が減少した[ 5] 。
南への人口移動を可視化する方法としては、フィンランド湾 の港口都市コトカ とボスニア湾 の港口都市カスキネン (英語版 ) の間に(北に少し曲がった)直線を書く方法がある。1975年、この線の南にフィンランド人口の半分が住んでいる。その10年前にも同じような線を書くにはその線を北に移動して、線の南に約20%の土地を増やす必要がある。そして、100年前にも同じような線を書くには線の南に倍の土地を含める必要がある。また別の方法には、1980年時点ではフィンランドの南部、国土の41%にあたる地域に約9割の国民が住んでいるという事実がある[ 5] 。
移民
人口統計
2013年時点でフィンランド住民のうち外国生まれが299,263人で人口の5.5%を占めている。そのうち182,930人(3.6%)が欧州連合 以外の国で、98,380人(1,9%)がフィンランド以外の欧州連合諸国で生まれた[ 17] 。フィンランド本土(オーランド諸島 除く)における移民の出身国は下記の通りである。
元ソビエト連邦 諸国 (53,710)
エストニア (39,327人)
スウェーデン (29,484人)
ロシア (10,992人)
ソマリア (9,618人)
イラク (9,264人)
中華人民共和国 (8,879人)
タイ王国 (8,563人)
元ユーゴスラビア 諸国(6,728人)
ドイツ (6,253人)
宗教
2015年末の時点ではフィンランド福音ルター派教会 がフィンランド最大の教会であり、国民の73%がその信者となっている。2位の宗教は正教会 となっており、住民の1.1%がフィンランド正教会 の信者である。ルター派信者は1900年では98%となっていたのが、1950年には95%、2000年には85%と徐々に下がっていた。2015年末の時点では1.6%がその他の宗教、24.3%が無宗教か不明である[ 18] 。
ペンテコステ派 はフィンランドで約5万人の信者を有する。伝統的に学会として振舞っていたため、教会の統計には表れていない[ 19] [ 20] 。
イスラム教 の信者は2010年時点では4万人だった[ 21] 。
識字率
「15歳以上の人口のうち読み書きができる人口の比率」という定義のもと、識字率は2000年の推計では100%となっている[ 22] 。
2016年3月に発表された研究ではデータが足りていた61か国のうちフィンランドの識字率が世界一高い、という結果になっていた。研究は学校に行く年数、パソコンが利用できるか、図書館と新聞の数、識字率を測定する試験を判断基準として利用した[ 23] 。
2010年、フィンランド国営放送 はソマリ人移民の85から90%がフィンランドに到着した時点では読み書きできないと報じた[ 24] 。
脚注
^ a b “Population structure 2012 - annual review ”. Statistics Finland (2013年). 21 January 2017 閲覧。
^ “Statistics Finland: Finland in Figures ”. 2007年6月21日 閲覧。
^ Matka väestölliseen keskipisteeseen , Helsingin Sanomat , 30 July 2012, p. A5. Online edition
^ “Finland Demographics Profile 2016 ”. Index Mundi . 21 January 2017 閲覧。
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s Text from PD source: US Library of Congress: A Country Study: Finland , Library of Congress Call Number DL1012 .A74 1990.
^ Statistics Finland List of Tables in English
^ “Finland’s preliminary population figure 5,509,984 at the end of September ”. Statistics of Finland . Statistics Finland. 25 October 2017 閲覧。
^ a b c d Solsten, Eric (ed.) (1988年). “Marriage ”. Finland: A Country Study. . GPO for the Library of Congress. 21 January 2017 閲覧。 この記述には、アメリカ合衆国 内でパブリックドメイン となっている記述を含む。
^ Nieminen, Jari (2013年). “Etnisyystiedon merkitys kasvaa maahanmuuton lisääntyessä ” (フィンランド語). Tilastokeskus . Statistics Finland. 21 January 2017 閲覧。
^ “Language Act ”. Finlex . Ministry of Justice, Finland (2003年). 22 January 2017 閲覧。
^ a b “Saame ” (フィンランド語). Kotus . 22 January 2017 閲覧。
^ a b c Population of mainland Finland (excluding Åland) according to language, 1990-2015 Archived 2013-01-06 at Archive.is Statistics Finland
^ Eduskunta — Kirjallinen kysymys 20/2009 , FI: Parliament, オリジナル のJune 2, 2014時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20140602201021/http://www.eduskunta.fi/faktatmp/utatmp/akxtmp/kk_20_2009_p.shtml
^ Niemi, Heli (2007年). “Russian Immigrants in Finnish Society ”. University of Vechta. 22 January 2017 閲覧。
^ “Ulkomaiden kansalaiset ” (フィンランド語). Tilastokeskus . 22 January 2017 閲覧。
^ “Tavismuslimit ” (フィンランド語). Ylioppilaslehti (2004年). 21 January 2017 閲覧。
^ Syntymävaltio iän ja sukupuolen mukaan maakunnittain 1990 - 2013 , Tilastokeskus
^ “Population: Population structure ”. Statistics Finland (31 December 2015). 21 January 2017 閲覧。
^ “Helluntaiherätys ” (フィンランド語). Suomen helluntaiseurakunnat. 21 January 2017 閲覧。
^ “Haastetu kirkko 2008-2011 ” (フィンランド語). Suomen evankelisluterilainen kirkko. 21 January 2017 閲覧。
^ “Religious Composition by Country, 2010-2050 ”. PEW Forum. 21 January 2017 閲覧。
^ “Country Comparison: Literacy ”. CIA Factbook . CIA. 21 January 2017 閲覧。
^ “Finland ranked world's most literate nation ”. The Guardian . 21 January 2017 閲覧。
^ “Nästan alla somaliska flyktingar är analfabeter” . Yle . (31 March 2010). https://svenska.yle.fi/artikel/2010/03/31/nastan-alla-somaliska-flyktingar-ar-analfabeter 21 August 2016 閲覧。
関連項目
外部リンク