フィリップ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ
フィリップ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ(ドイツ語: Philipp von Sachsen-Coburg und Gotha, 1844年3月22日 - 1921年7月4日)は、コハーリ侯爵家の公子。ブルガリア王フェルディナントの長兄にあたる。金羊毛勲章、ポルトガルの塔および剣勲章を受章している。 生涯ザクセン=コーブルク=ゴータ公子アウグストと、その妻のフランス王女クレマンティーヌ(ルイ=フィリップ1世の四女)の長男として生まれ、1870年にハンガリー王国軍の陸軍少佐となった。1875年2月4日、従姪にあたるベルギー王女ルイーズ(従兄のレオポルド2世の長女)と結婚した。 フィリップは義弟のオーストリア皇太子ルドルフとは親友で、1889年1月30日未明に起きたマイヤーリンク事件ではヨーゼフ・ホヨス=シュプリンツェンシュタイン伯爵および近習のヨハン・ロシェックと一緒に、ルドルフ皇太子とその愛人マリー・フォン・ヴェッツェラの遺体を発見している。 ルイーズとの結婚生活は悲惨なものであり、ルイーズは1896年に夫の許を離れて別居した。2年後の1898年には彼女に対する禁治産宣告が出され、1906年1月15日には二人の離婚が成立した。ルイーズはハンガリー貴族のマッタチチュ=ケグレヴィチ・ゲーザ伯爵(Mattachich-Keglevich Geza, 1867年 - 1923年)と長く愛人関係にあったため、フィリップは主君の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世から妻の情夫との決闘を命じられている。ルイーズはまたフィリップの副官とも男女の関係にあった。 フィリップはコーブルクにある城館で晩年を過ごし、77歳でこの世を去った。遺骸はコーブルクの聖アウグスティン教会にあるコハーリ侯爵家の地下納骨堂に埋葬された。 子女ルイーズとの間に1男1女を儲けた。
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