ピーター・シックリー (Peter Schickele [ 1] 、1935年 7月17日 - 2024年 1月16日 )は、アメリカ合衆国 の作曲家 、音楽教育家、パロディ作家である。バッハ の(架空の)息子の「P. D. Q. バッハ 」が作曲したと称する、様々な作曲家のクラシック音楽をフィーチャーした冗談音楽 の作曲で知られる。姓は「シッケレ」「シッケル」[ 2] とも表記される。
1990年から1993年までの3年連続で、P. D. Q. バッハのアルバムがグラミー賞 のコメディアルバム部門 (英語版 ) を受賞した[ 3] 。また、「シックリー・ミックス」という週1回のラジオ番組の司会を務めていた[ 4] 。
若年期
シックリーは1935年7月17日にアイオワ州 エイムズ で生まれた[ 1] [ 5] 。両親はアルザス地方 からの移民だった。父のライナー・シックリー(Rainer Schickele、1905 - 1989)は作家ルネ・シッケレ (英語版 ) の息子であり、アイオワ州立大学 の農業経済学の教授だった[ 6] 。ライナーは1945年にワシントンD.C.のジョージ・ワシントン大学 で教員となり、1946年にノースダコタ州 ファーゴ のノースダコタ農業大学(現 ノースダコタ州立大学 (英語版 ) )の農業科学部長に就任した[ 6] 。
スワースモア大学在学中のシックリー(後)
ファーゴで、幼いシックリーはファーゴ・ムーアヘッド交響楽団 (英語版 ) のシグヴァルド・トンプソン(Sigvald Thompson)から作曲を学んだ。1952年にファーゴの高校を卒業してスワースモア大学 に入学し、1957年に音楽の学位を得て卒業した[ 7] 。スワーモア大学の同級生にテッド・ネルソン がおり、シックリーはネルソンが学生時代に製作した実験映画"The Epiphany of Slocum Furlow "に音楽を提供している[ 8] 。ジュリアード音楽院 に進学し、1960年に作曲の修士号 (英語版 ) を得て卒業した[ 9] [ 10] 。ジュリアード音楽院では、作曲をロイ・ハリス とヴィンセント・パーシケッティ から学んだ[ 11] 。
初期のキャリア
ミルウォーキーにて(1981年)
1961年から1965年まで母校ジュリアード音楽院で教鞭をとり[ 6] 、その後はフリーランスとして活動を続けた。
シックリーは多くのフォーク・ミュージシャン に楽曲を提供している。特に、ジョーン・バエズ には、『ノエル (英語版 ) 』(1966年)、『ジョーン (英語版 ) 』(1967年)、『バプティズム (英語版 ) 』(1968年)の3枚のアルバムにおいてオーケストレーションと編曲を担当している。また、1972年のSF映画『サイレント・ランニング 』の楽曲も作曲している[ 12] 。
ピアノの上に裸足で座るシックリー(1980年代頃)
シックリーは優れたバスーン 奏者でもあり、室内楽ロックトリオ「オープンウインドウ」のメンバーである。このグループは1969年のレヴュー 『オー! カルカッタ! (英語版 ) 』の音楽を作曲・演奏し[ 13] 、3枚のアルバムをリリースした[ 14] [ 15] [ 16] 。
シックリーが冗談音楽に関わるようになったのは、1940年代から1950年代にかけてポピュラー音楽のパロディをしていたスパイク・ジョーンズ に早くから興味を持っていたことによるものである[ 5] 。ジュリアード音楽院在学中の1959年、指揮者のホルヘ・メスター と共に冗談音楽のコンサートを開き、以来、同校の恒例行事となった。1965年からは会場をニューヨークのタウンホール に移し、一般の聴衆も観覧できるようにした[ 5] 。コンサートのアルバムがヴァンガード・レコード からリリースされ、その際にP. D. Q. バッハ というキャラクターが作られた[ 17] 。コンサートが人気を博したことから、1972年からはリンカーン・センター のエイヴリー・フィッシャー・ホール に会場が移されている。
P. D. Q. バッハ
シックリーは、「バッハ の末っ子で最も奇妙な子供」である「P. D. Q. バッハ 」という架空の人物が作曲したと称する、様々な作曲家のクラシック音楽をフィーチャーしたパロディ(冗談音楽 )の作曲(シックリーは「バイエルン州の古城で自筆譜を発見した」と主張している)で知られる[ 5] 。
P. D. Q. バッハとしての作品は、かなりの程度、「真面目な」作曲家としてのシックリーの作品の影に隠れてしまっている[ 18] [ 19] 。
シックリーは2015年12月にニューヨークのタウンホールで、P. D. Q. バッハとしての最初のコンサートから50周年を記念するコンサートを行った[ 20] 。自身の健康上の問題からコンサート活動を減らしていたが、2018年までライブ・コンサートを続けていた[ 21] 。
その他の音楽のキャリア
シックリーは、オーケストラ、合唱団、室内アンサンブル、声楽、テレビ番組などのために100以上の楽曲提供を行っている。その中には、『かいじゅうたちのいるところ 』(Where the Wild Things Are )のアニメ化作品(ジーン・ダイッチ (英語版 ) が1973年に製作した作品の1988年の改訂版)も含まれ、シックリーがナレーションも担当している[ 17] 。ブルース・ダーン 主演のSF映画『サイレント・ランニング 』(1972年)の音楽を担当し、ダイアン・ランパートとオリジナル曲"Silent Running "と"Rejoice in the Sun "を共作した。また、スクールバンドのための曲や、『オー! カルカッタ! (英語版 ) 』などのミュージカルの曲も作曲した。数多くのコンサートを企画し、音楽監督や演奏家として参加した[ 1] 。シックリーが作曲したミュージカルの楽曲は数々の賞を受賞した。シックリーの作品は、ヨーロッパのクラシック音楽の伝統とアメリカのイディオムを融合させた独特のスタイルが特徴である[ 22] 。
ラジオ
シックリーは音楽教育家として、ラジオのクラシック音楽の教育番組『シックリー・ミックス』(Schickele Mix )の司会を務めた。この番組は、アメリカ国内の多くの公共放送 、およびパブリック・ラジオ・インターナショナル (英語版 ) (PRI)で放送された。番組は1992年に始まった。資金不足のため1999年に終了し、2007年6月まで既存番組の再放送が行われていた[ 23] 。製作された169本の番組のうち、再放送されたのは119本だけだった。最初の50本については、PRIの旧社名であるアメリカン・パブリック・ラジオの社名が入っていたため再放送されなかった。2006年3月からは、50本のうちのいくつかの再放送を開始した[ 4] 。その中には、音楽家や作曲家の名前を周期表 のように列挙した「音楽の周期表」という特筆すべき番組も含まれていた[ 24] 。
私生活
シックリーは1962年10月27日に詩人のスーザン・シンドール(Susan Sindall)と結婚した[ 25] 。スーザンとの間にはマット(Matt)とカーラ(Karla)という2人の子供がおり、2人とも音楽家になった。シックリーは1990年代に、2人の子供とともにトリオ「ビーキーパー」(Beekeeper)として活動していた[ 26] 。カーラはオーケストラ音楽の作曲もしている。
シックリーの弟のデイヴィッド・シックリー (英語版 ) (1937–1999)は映画監督・ミュージシャンである[ 6] [ 27] 。
シックリーは2024年1月16日にニューヨーク州 ベアーズビル (英語版 ) の自宅で感染症により88歳で死去した[ 1] 。
受賞歴
脚注
^ a b c d Fox, Margalit (January 17, 2024). “Peter Schickele, Composer and Gleeful Sire of P.D.Q. Bach, Dies at 88” . The New York Times . https://www.nytimes.com/2024/01/17/arts/music/peter-schickele-dead.html January 17, 2024 閲覧。
^ “ピーター・シッケル (Peter Schickele) - 作曲家(クラシック) - NML ナクソス・ミュージック・ライブラリー ”. ナクソス・ジャパン. 2024年4月16日 閲覧。
^ a b “Peter Schickele ”. The Recording Academy . February 8, 2018 閲覧。
^ a b “Schickele Mix: The Lost Episodes ”. Yellowstonepublicradio.org . 2015年6月25日時点のオリジナル よりアーカイブ。2024年4月16日 閲覧。
^ a b c d Colin Larkin , ed (1992). The Guinness Encyclopedia of Popular Music (First ed.). Guinness Publishing . p. 2202. ISBN 0-85112-939-0
^ a b c d “Finding Aid to the Rainer Schickele Papers ”. North Dakota State University Institute for Regional Studies and University Archives. March 4, 2016時点のオリジナル よりアーカイブ。2024年4月16日 閲覧。
^ “In Honor of Composer and Satirist Peter Schickele '57 H'80 ” (英語). www.swarthmore.edu (2024年1月22日). 2024年3月22日 閲覧。
^ The Epiphany of Slocum Furlow - YouTube
^ “Remembering Persichetti: A Centennial Panel and Concert ”. The Juilliard Journal (October 2015). March 1, 2020 閲覧。
^ Battey, Robert (May 12, 2007). “Schickele Keeps the 'Serious Fun' Rolling With NSO” . The Washington Post . https://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/05/11/AR2007051102026.html
^ Fox, Margalit (January 17, 2024). “Peter Schickele, Composer and Gleeful Sire of P.D.Q. Bach, Dies at 88” . The New York Times . https://www.nytimes.com/2024/01/17/arts/music/peter-schickele-dead.html
^ Ravas, Tammy (2004). Peter Schickele: A Bio-bibliography . Greenwood Publishing Group. p. 7. ISBN 0-313-32070-5
^ “Oh! Calcutta! – Cast ”. Playbill (March 1971). 2024年4月16日 閲覧。
^ OCLC 7010731 (The Open Window , 1969)
^ OCLC 3745796 (Three Views From "The Open Window" , 1969)
^ OCLC 25739018 (Oh! Calcutta! , 1970)
^ a b The Tennessean March 12, 2009, "The Nashville Scene", p. 46
^ Bargreen, Melinda (August 31, 2007). “Composer's jovial shtick is serious musical business” . The Seattle Times . https://www.seattletimes.com/entertainment/composers-jovial-shtick-is-serious-musical-business/
^ "Swarthmore's First Music Major" Archived January 25, 2009, at the Wayback Machine . by Paul Wachter, Swarthmore College Bulletin (September 2007)
^ Oestreich, James R. (December 30, 2015). “Review: Bach at St. Paul's, and the Fictional Relative, P.D.Q., at Town Hall” . The New York Times . https://www.nytimes.com/2015/12/31/arts/music/review-bach-at-st-pauls-and-the-fictional-relative-pdq-at-town-hall.html January 9, 2016 閲覧。
^ “Peter Schickele Concert Schedule ”. The Peter Schickele Web Site . February 22, 2017 閲覧。
^ Vance R. Koven (March 21, 2016). “Shickele Sans PDQ ”. The Boston Musical Intelligencer . July 17, 2023 閲覧。
^ “Dedicated to the Proposition that All Musics are Created Equal ”. The Peter Schickele/P.D.Q. Bach Web Site . December 8, 2009時点のオリジナル よりアーカイブ。February 22, 2008 閲覧。
^ “Schickele Mix Program Database Search ”. The Peter Schickele/P.D.Q. Bach Web Site . November 12, 2007時点のオリジナル よりアーカイブ。February 22, 2008 閲覧。
^ “Susan Sindall Is Bride of a Juilliard Teacher” . The New York Times : p. 91. (October 28, 1962). https://www.nytimes.com/1962/10/28/archives/susan-sindall-is-bride-of-a-juilliard-teacher.html March 28, 2023 閲覧。
^ James R. Oestreich (February 1, 1995). “At Work With: Peter Schickele; When P.D.Q. Meets P.D. Slow” . The New York Times . https://www.nytimes.com/1995/02/01/garden/at-work-with-peter-schickele-when-p-d-q-meets-p-d-slow.html March 28, 2023 閲覧。
^ Kozinn, Allan (November 11, 1999). “David Schickele, 62, Filmmaker and, With Brother, a Parodist” . The New York Times . https://www.nytimes.com/1999/11/11/arts/david-schickele-62-filmmaker-and-with-brother-a-parodist.html?pagewanted=print
外部リンク