ピエール・ド・ラリヴェピエール・ド・ラリヴェ(Pierre de Larivey, 1541年7月20日 - 1619年2月12日)はルネサンス期フランスの劇作家、翻訳家。モリエールやジャン=フランソワ・ルニャールらに影響を与え、フランス喜劇の生みの親の一人と位置付けられることもある。なお、17世紀初頭に相次いで暦書を刊行していた占星術師クロード・モレル(Claude Morel)は、この人物の変名とされる。 生涯ピエール・ド・ラリヴェは1541年にトロワで生まれた。祖父はイタリアからの移住者で、フランスに来た後、姓をギュント(Giunto)からラリヴェ(当初は L’Arrivée と綴った)に変えた。 ピエールは、パリで弁護士などを勤めた後(この頃ピエール・ド・ロンサールと親交があったとされる)、トロワに戻ってサン=テチエンヌ司教座聖堂の参事会員となり、のちに司祭職に任命されている。彼はそうした職の傍ら、イタリア語文献の翻訳や喜劇作品の執筆を旺盛に行った。 演劇作品当時上演された作品をまとめた著作として次の2冊がある。
これらは、1855-56年に『かつてのフランス演劇 Ancien Théâtre français』の第5巻-第7巻として復刻された。この復刻版は、ガリカデジタル図書館(フランス国立図書館)で見ることができる。 翻訳原著はいずれもイタリアの作品である。
クロード・モレル「ブルゴーニュ公国サン=タムール生まれのクロード・モレル」と名乗っていた占星術師は、ピエール・ド・ラリヴェと同一人物とされる(モレルとラリヴェを結びつけることに懐疑的な見解もある)。甥であったらしい占星術師ピエール・ド・ラリヴェ2世と混同されることがあるが、彼自身はピエール・ド・ラリヴェ名義で占星術関連書を出したことはない。モレル名義の占星術的な暦書は、1611年向けから1618年向けまでが確認されている。 また、没後、ピエール・ド・ラリヴェ2世の編集で『クロード・モレルと呼ばれた故ピエール・ド・ラリヴェの、死後その書斎で発見された予言集の6つのサンチュリ』(トロワ、1623年)という著書が刊行された。ノストラダムスを意識した作品なのは明らかであるが、ラリヴェは他にトロワの出版業者ピエール・シュヴィヨが刊行した、ノストラダムス予言集の版の一つ(1611年)の編集に携わっていた可能性も指摘されている(ちなみにシュヴィヨは17世紀初頭にラリヴェ作品の出版を複数手掛けていた)。 |