ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテス(Villanueva de los Infantes)は、スペイン・カスティーリャ=ラ・マンチャ州、シウダー・レアル県のムニシピオ(基礎自治体)。カンポ・デ・モンティエル地区(Campo de Montiel)の中心自治体である。
地理
人口
ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテスの人口推移 1900-2010 |
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出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[2]、1996年 - [3] |
歴史
ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテスの領域にイベリア系オレタニア人(Oretano)や、ローマ帝国前期や後期にはローマ人が居住していた多くの証拠が残されている。しかし、ローマ帝国末期から中世初期については何も残されていない。
村落としてのビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテスはラ・モラレッハ、ハミーラ、エル・カスティージョ・デ・ペニャフロールの住民たちによってはじまったと考えられている。
ラ・モラレッハはモンティエルに属していた集落で、サンティアゴ騎士団長でアラゴン王国の王子(Infante)のドン・エンリーケ・デ・トラスタマラ(Enrique de Trastámara)によって特権を与えられ、1421年2月10日に独立、村となった。このときエンリーケ・デ・トラスタマラは特権とともに村に名を与えている。与えた名はビジャヌエバ・デル・インファンテ(Villanueva del Infante、王子の新しい村の意、王子とはエンリーケ・デ・トラスタマラのこと)であるが、エンリーケ・デ・トラスタマラの敵たちは、その名を認めなかった。1480年騎士団長アロンソ・デ・カルデナスは論争を終えらせるために、ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテス(王子たちの新しい村)という名称で呼ぶように通達を出した。この「王子たち」とはエンリーケ・デ・トラスタマラと彼の兄弟たちを暗示している。
ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテスはその人口も増え、1573年スペイン王フェリーペ2世によってカンポ・デ・モンティエル地区(Campo de Montiel)の首都に宣せられ、地区政府と小教区が設けられた。そして、トマス・デ・ビジャヌエバ(Tomás de Villanueva)、バルトロメ・ヒメネス・パトン(Bartolomé Jiménez Patón)やフランシスコ・デ・ケベード、ミゲル・デ・セルバンテス、ロペ・デ・ベガなどによってビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテスは文化的、精神的な街として知られるようになった。
スペイン独立戦争では、1810年1月1日から2年近くもの間フランス軍に占領された。1812年7月25日ラ・マンチャ県(Provincia de La Mancha)地方評議会(Junta)はマジョール広場にてスペイン初の憲法であるスペイン1812年憲法への宣誓を行った。
1834年には地区政府が、そして1875年には小教区が廃止されると人口が減少し始めた。1895年摂政マリア・クリスティーナによって市の称号(el título de ciudad)が与えられた。そして1974年には歴史的美術的保存地区(Conjunto Histórico-Artístico)に指定された。
政治
自治体首長はカスティーリャ=ラ・マンチャ国民党(Partido Popular de Castilla-La Mancha、PPCLM)のガビーノ・マルコ・ソレーラ(Gabino Marco Solera)[4]で、自治体評議員は、カスティーリャ=ラ・マンチャ国民党:7、カスティーリャ=ラ・マンチャ社会党(Partido Socialista de Castilla-La Mancha、PSCM-PSOE):6となっている(2011年5月22日の自治体選挙結果、得票順)[5]。
1999年6月13日自治体選挙[6]
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政党
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得票数
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得票率
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獲得議席
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PSOE
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1,330
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37.60%
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6
|
PP
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1,079
|
30.51%
|
4
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ICI[7]
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745
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21.06%
|
3
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IU[8]
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186
|
5.26%
|
0
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APIN[9]
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163
|
4.61%
|
0
|
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2003年5月25日自治体選挙[6]
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政党
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得票数
|
得票率
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獲得議席
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PSOE
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2,029
|
58.91%
|
8
|
PP
|
884
|
25.67%
|
3
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ICI
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456
|
13.24%
|
2
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2007年5月27日自治体選挙[6]
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政党
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得票数
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得票率
|
獲得議席
|
PP
|
1,751
|
54.36%
|
7
|
PSOE
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1,385
|
43.00%
|
6
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2011年5月22日自治体選挙[5]
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政党
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得票数
|
得票率
|
獲得議席
|
PP
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1,680
|
52.68%
|
7
|
PSOE
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1,421
|
44.56%
|
6
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司法行政
ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテスはビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテス司法管轄区に属し、同管轄区の中心自治体である[10]。
名所・史跡
『ドン・キホーテ』の作者ミゲル・デ・セルバンテスはドン・キホーテの故郷のモデルとなった村を明確にしておらず、シウダー・レアル県アルガマシーリャ・デ・アルバ(スペイン語版)が有力であるとされていた[11]。しかし、マドリード・コンプルテンセ大学を中心とする研究グループは、会話に登場する場所や登場人物の歩行速度などを詳細に分析し、2004年12月にビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテスがモデルであるとする新説を打ち出した[11]。ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテスの観光客は急増し、2005年には最初の3か月間だけで前年の総観光客数4万人を上回った[11]。2005年には中央広場にドン・キホーテと従者サンチョ・パンサの銅像が設置され、観光客向けの記念撮影スポットとなっている[11]。
脚注
外部リンク