ヒロ・ヤマモト
ヒロ・ヤマモト(Hiro Yamamoto、1961年4月13日 - )は、ワシントン州・シアトル生まれのアメリカ合衆国のベーシスト。 1984年にキム・セイル、クリス・コーネルとともにサウンドガーデンを結成したオリジナル・メンバー[1]。ヤマモトは1989年にバンドを離れ、翌年、スクリーミング・トゥリーズのドラマー、マーク・ピカレル、The Storybook Krooks のロバート・ロスとともに、インディーズ・ロック・バンド、トゥルーリーを結成した。 サウンドガーデンヤマモトは、サウンドガーデン結成時のベーシストである。ヤマモトの演奏は、コーネル、セイル、ドラマーのスコット・サンドキストの編成によるものがコンピレーション・アルバム『Deep Six』に、また、コーネル、セイル、ドラマーのマット・キャメロンの編成によるものが、EP盤『Screaming Life』、『Fopp』、『Loudest Love』や、アルバム『Ultramega OK』、『Louder Than Love』に残されている。1989年、ヤマモトは、履修途中だった物理化学の修士号をウェスタンワシントン大学で取得するためにバンドを離れた。ヤマモトが参加した最後のギグは、アムステルダムのメルクウェヒで行なわれたが、このギグの後、ヤマモトと他のメンバーは口論となり、ヤマモトはバンドを辞めた。ヤマモトの抜けた穴は、短期間だけニルヴァーナに在籍したジェイソン・エヴァーマンが埋め、その後、恒久的な後任ベーシストとしてベン・シェパードが選ばれた。 コーネル、セイル、キャメロン、シェパードと同じように、ヤマモトもサウンドガーデンの楽曲づくりに活発に関わっていた。サウンドガーデンのメンバーであった間に、ヤマモトは以下の楽曲づくりに関わった。
トゥルーリー1991年、ヤマモトは3人編成のインディーズ・バンド、トゥルーリーを結成した。他のメンバーは、スクリーミング・トゥリーズのドラマーだったマーク・ピカレルと、ボーカルのロバート・ロスであった。トゥルーリーとともに、インディーズ・ロック・バンド、トゥルーリーを結成した。トゥルーリーは2枚のスタジオ・アルバムと未発表音源のコンピレーションを残し、2000年に解散した。 ステレオ・ドンキー2016年、ジャム・セッションの成功を踏まえ、ヤマモトは、ドラマーのマイク・バジュク (Mike Bajuk)、ギタリストのパット・ウィクリン (Pat Wickline) とともに、サーフ・ミュージックに示唆を得た3人編成のバンドを結成した。 2018年11月には、6曲を収録したセルフタイトルのEPを発表したが、これはウィクリンが住んでいる、かつて教会だった建物で録音されたものであった。ウィクリンによれば、「この空間はバンドの4人目のメンバーだ」という。この録音は、サーフ・ミュージックともエキゾチカとも評されたが、いずれにせよそのルーツは「太平洋岸北西部のロックの歴史 (Pacific Northwest rock history)」にあるとされた[2]。 その他のパフォーマンス2021年11月8日、シアトルでおこなわれたアジアの殿堂 (the Asian Hall of Fame) の2021年の授賞者を讃え、ロバート・チン財団 (the Robert Chinn Foundation) の35周年を記念するイベントにおいて、ヤマモトは他の有名なミュージシャンたちと共演した。このとき共演した中には、ジェフ・カシワ、クリス・ノヴォセリック、エド・ロス (Ed Roth)、ダニー・セラフィンらがいた[3]。 ディスコグラフィサウンドガーデン トゥルーリー
出典・脚注
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