パオ・サヤドー (Pa Auk Sayadaw, パオ・セヤドーとも)は、ミャンマー のモーラミャイン にあるパオ森林僧院 の歴代院長のこと。これまでに3代続いている。サヤドー は敬称である。第三代パオ・サヤドーは、高齢の大長老に使用される敬称 Sayadawgyi(サヤドージ)で呼ばれている。
歴代のパオ・サヤドー
初代パオ・サヤドー
第二代パオ・サヤドー
Aggapañña(アッガパンニャー)。1981年に、第3代目パオ・サヤドーにその座を譲る。[ 1]
第三代パオ・サヤドー
第三代
パオ・サヤドー (第三代、1934年 6月24日 -)[ 1] は、ミャンマー 出身の上座部仏教 のBhikkhu (ビクゥ)。法名はĀciṇṇa(アーチンナ)。敬称は、The Most Venerable Pa-Auk Tawya Sayadaw Bhaddanta Āciṇṇa(最も尊いパオ森林僧院の先生アーチンナ)である。サヤドーはビルマ語の敬称で「尊敬される教師」を意味し、バッダンタはパーリ語の敬称で「尊敬すべき方」を意味する。ミャンマーのモーラミャインにあるパオ森林僧院 の僧院長であり、主任指導者である。
略歴
1934年 6月24日 、ヤンゴン 北西のヒンタダ郡レイ・チャウン村で生まれた。
1944年 、10歳でSāmaṇera (サーマネラ) として出家した。さまざまな教師の下で『パーリ語の三蔵 』を学び、この間に3つのパーリ語の試験に合格した。
1951年 、17歳でPaṭhamabyan(パタマビヤン:パーリ語の国家試験)の初級、翌年に中級、更に翌年には上級に合格した。
1954年 、20歳でUpasampadā(ウパサンパダー:具足戒 )を受け、正式にBhikkhu (ビクゥ:比丘)となる。博学な年長のBhikkhu の下でパーリ語の三蔵を勉強し続ける。
1956年 、22歳で難関のDhammācariya(ダンマーチャリヤ:ダンマの教師、阿闍梨 )国家試験に合格した。これはパーリ語仏法の学士号に相当し、「ダンマの教師」の称号が与えらた。以後8年間、学僧として各地の大長老に学んだ。
1964年 、30歳で学問的な研鑽を終えたと判断し、本格的な瞑想修行・実践に入り、森に住み始めた。パーリ語三蔵の研究とダンマ(法)の究明を続けながら、当時の尊敬される瞑想教師を探し出して指導を受け、頭陀行 は16年間に及んだ。
1981年 、47歳の時、親交のあったモーラミャインのパオ森林僧院の第2代僧院長のAggapañña(アッガパニャー)尊者からの招待により第3代僧院長を託される。
1983年 、49歳で瞑想修行も終えたと判断し、瞑想指導を開始した。出家修行者および在家修行者が、瞑想を学び、実践するためにサヤドーの下を訪れる。以後、「パオ・サヤドー」の名が国内外に広まる。サヤドーがパーリ語の三蔵と注釈書に基づき、体系的にまとめて実践し、復興したGotama Buddha(ゴータマ・ブッダァ)の修行体系を、世間では「パオ・メソッド」と呼んでいる。その体系は、Sīla(シーラ:戒、道徳)を厳守し、Samādhi(サマーディ:定、集中力)を養い、Paññā(パンニャー:慧)を得るための基盤を築くという三学(3段階の訓練)で構成されている。これはさらに、この生涯においてNibbāna (ニッバーナ:涅槃)を証悟するために必要となる、身(身体的行為)、口(言葉)、意(心)の汚染を体系的に浄化するための段階的な処方であるSatta Visuddhi(サッタビスッディ:七清浄、7段階の浄化)に細分化されている。しかし、本人は、この通称を好まない。その理由は、自身のオリジナル・メソッドでなくて、あくまでパーリ語の三蔵と注釈書に基づいたGotama Buddhaの修行体系Dhamma-Vinayaであるためである。
1990年 以降、ミャンマーの政情安定化に伴い、海外からも多くの瞑想修行者が僧院を訪れるようになる。
1997年、63歳の頃、自身の最高傑作であるThe Practice that Leads to Nibbāna(涅槃に至る実践)と題する5巻からなる大著を出版した。この本では、教えの全過程が詳細に説明され、パーリ語の三蔵からの大量の引用が添えられてる。現在はビルマ語、シンハラ語、一部英語でのみ入手可能である。その教えは、国際的に高く評価されている数冊の本(英語)で出版されている。一部は、有志により中国語版から日本語に翻訳されているが、中国語版と英語版に相違が見られるため、併読が望ましい。
サヤドーは、高く評価されているDhammācariya(ダンマーチャリヤ:ダンマの教師)であるとともに、熟達したKammaṭṭhānācariya(カンマッターナーチャリヤ:瞑想の教師)でもある。流暢な英語を話し、台湾、中国、香港、韓国、日本、マレーシア、シンガポール、インドネシア、タイ、ベトナム、スリランカ、ドイツ、英国、米国で講演やリトリート(合宿)の指導を行ってきた。
1999年、65歳の頃、ミャンマー政府は、その功績を公に認めて、Agga Mahā Kammaṭṭhānācariya(アッガ・マハー・カンマッターナーチャリヤ:最も高く尊敬される瞑想の教師)の称号が贈られた。
2009年、75歳の頃、ミャンマーで開催された第17回シュエキン・ニカーヤ・サンガ会議で、Shwekyin Nikāya Rattaññūmahānāyaka(シュエキン・ニカーヤ・ラッタニュームハーナーヤカ」の称号が贈られた。
2024年12月現在、90歳であるが、ネパールの分院に滞在し、後進を指導中。
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク