モーラミャイン(ビルマ語: မော်လမြိုင်, Mawlamyaing)は、ミャンマーの都市。モン州の州都。人口は約49万人で、ミャンマー第4の規模を有する。以前はモールメン(Moulmein)と呼ばれていたマルタバン湾の港湾都市[1][2]。
概要
アンダマン海のモッタマ湾(マルタバン湾)に近い。タンルウィン川(サルウィン川)沿岸にあり、対岸のモッタマ(マルダバン)へはフェリーが運航している。2006年には両都市を結ぶタンルウィン・ブリッジが開通した。対岸のモッタマからヤンゴンへ鉄道・道路が通じており、モーラミャインからはマレー半島を下る鉄道・道路が延びている。モン人地域における最大の都市であり、モーラミャイン大学では多くの学生が学んでいる。イギリスの文学者ジョージ・オーウェルは、一時英領インド帝国の警察官を務めており、モーラミャインが赴任先であった。この地での植民地支配に対する彼の葛藤は、エッセイ「象を撃つ」に示されている。
気候
ケッペンの気候区分ではサバナ気候であり、乾季と雨季がはっきりと分かれている気候である。特に雨季は雨が非常に多く、6月~8月の3か月間で3,000ミリ以上の降水量が観測される。
モーラミャイン (1981–2010, 極値 1958–1994)の気候
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月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
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最高気温記録 °C (°F)
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37.2 (99)
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37.2 (99)
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39.4 (102.9)
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38.3 (100.9)
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38.9 (102)
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36.1 (97)
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33.9 (93)
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36.7 (98.1)
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35.0 (95)
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37.2 (99)
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37.2 (99)
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36.1 (97)
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39.4 (102.9)
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平均最高気温 °C (°F)
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32.9 (91.2)
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34.4 (93.9)
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35.6 (96.1)
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35.8 (96.4)
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32.5 (90.5)
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29.5 (85.1)
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28.8 (83.8)
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28.6 (83.5)
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30.1 (86.2)
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32.4 (90.3)
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32.8 (91)
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32.1 (89.8)
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32.1 (89.8)
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平均最低気温 °C (°F)
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18.4 (65.1)
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19.9 (67.8)
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22.2 (72)
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24.7 (76.5)
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24.3 (75.7)
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23.8 (74.8)
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23.6 (74.5)
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23.5 (74.3)
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23.6 (74.5)
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23.6 (74.5)
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22.0 (71.6)
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19.1 (66.4)
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22.4 (72.3)
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最低気温記録 °C (°F)
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12.8 (55)
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12.2 (54)
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16.7 (62.1)
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19.4 (66.9)
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16.7 (62.1)
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21.1 (70)
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18.9 (66)
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18.9 (66)
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21.1 (70)
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19.4 (66.9)
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15.0 (59)
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11.1 (52)
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11.1 (52)
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雨量 mm (inch)
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2.2 (0.087)
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6.0 (0.236)
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7.4 (0.291)
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117.2 (4.614)
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517.7 (20.382)
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988.9 (38.933)
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1,183.5 (46.594)
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1,227 (48.307)
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632.6 (24.906)
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214.9 (8.461)
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46.1 (1.815)
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16.3 (0.642)
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4,959.8 (195.268)
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出典1:Norwegian Meteorological Institute[3]
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出典2:Sistema de Clasificación Bioclimática Mundial (records)[4]
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歴史
1826年、第一次英麺戦争の結果イギリスとコンバウン朝の間にヤンダボ条約が結ばれた。これに従い、コンバウン朝はタニンダーリ地方域とラカイン州をイギリスに割譲した。割譲領域は英領ビルマとなり、モーラミャインはその最初の首都になった[5]。
1852年、イギリスは第二次英麺戦争でさらにコンバウン朝から領土を奪った。首都は新しく奪った都市に移った。
1936年、ジョージ・オーウェルの象を撃つの舞台がモーラミャインだった。イギリス植民地時代、モーラミャインにはイギリス・ミャンマー混血児が多く生まれた。
1908年には横浜の海洋サルベージ業者・松本島吉により、アヴァ号が引き揚げられた[6]。
ギャラリー
脚注
関連項目
外部リンク