パウ・ガソル Pau Gasol
2022年のガソル
基本情報 国籍
スペイン 生年月日
(1980-07-06 ) 1980年 7月6日 (44歳) 出身地
カタルーニャ州 バルセロナ 身長
216cm (7 ft 1 in) 体重
113kg (249 lb) キャリア情報 NBAドラフト
2001年 / 1巡目 / 全体3位[1]
プロ選手期間
1998年–2021年 ポジション
PF / C 背番号歴
16, 17 永久欠番
レイカーズ 16 経歴 1998–2001 FCバルセロナ 2001 –2008 メンフィス・グリズリーズ 2008 –2014 ロサンゼルス・レイカーズ 2014 –2016 シカゴ・ブルズ 2016 –2019 サンアントニオ・スパーズ 2019 ミルウォーキー・バックス 2021 FCバルセロナ 受賞歴
2×NBAチャンピオン (2009, 2010)
6×NBAオールスター (2006, 2009-2011, 2015, 2016)
2×オールNBAセカンドチーム (2011, 2015)
2×オールNBAサードチーム (2009, 2010)
NBA新人王 (2002)
NBAオールルーキーファーストチーム (2002)
No.16 ロサンゼルス・レイカーズ 永久欠番
オールユーロリーグ セカンドチーム (2001)
3×リーガACB チャンピオン (1999, 2001, 2021)
スペインキングカップチャンピオン (2001)
スペインキングカップMVP (2001)
リーガACBファイナルMVP (2001)
2×FIBAヨーロッパ 最優秀選手賞 (2008, 2009)
2×ミスター・ヨーロッパ最優秀選手賞 (2004, 2009)
4×ユーロスカー最優秀選手賞 (2008-2010, 2015)
ワールドカップ MVP (2006)
ワールドカップ得点王 (2014)
2×ユーロバスケット MVP (2009, 2015)
3×ユーロバスケット得点王 (2003, 2009, 2015) NBA通算成績 得点
20,894 (17.0 ppg) リバウンド
11,305 (9.2 rpg) アシスト
3,925 (3.2 apg)
Stats Basketball-Reference.com
バスケットボール殿堂入り選手 (詳細 ) 代表歴 キャップ
スペイン
パウ・ガソル・サエス (Pau Gasol Sáez , 1980年 7月6日 - )は、スペイン のカタルーニャ州 バルセロナ 出身の元プロバスケットボール選手 。リーガACB のFCバルセロナ や、NBA のメンフィス・グリズリーズ 、ロサンゼルス・レイカーズ などで活躍した。ポジションはパワーフォワード またはセンター 。弟のマルク・ガソル もNBAで活躍したプロバスケットボール選手。
家族・生い立ち
両親と弟2人の5人家族。パウは長男にあたる。父は190cm、母は185cmある[ 1] 。
看護師の父親(Agustí Gasol/アグスティ・ガソル)と、医師の母親(Marisa Sáez/マリサ・サエス)の長男として生まれる。両親は共にスペイン国内プロリーグの下部組織でプレー経験のある元バスケットボール 選手。医学一家に産まれたパウは幼い頃から母親に医療や医学について教えられてきた。そのことが、スポーツ選手としてのパウ自身の成長に役立った。親は彼に医学系の道へ進んで欲しかったが、パウの類まれなバスケの才能がそれを許さなかった。
4歳年下の次男(マルク・ガソル )も、同じくプロバスケットボール選手で[ 2] スペイン代表 。2008年 からは同じNBA のメンフィス・グリズリーズ に加入した。
スペイン時代
下部組織時代
7歳の時に生まれ故郷のサン・ボイ・ダ・ジョブレガットのバスケチーム(Cantera Basquet Llor Sant Boi)に入団し、バスケットボール を始める。その後、10代始めにCBコーネリア というバスケチームに移籍。この頃の彼の身長は185cmで、ポイントガード を務めていた。これら国内下部リーグのユースチームでの活躍が目に留まり、16歳で国内トップリーグの名門FCバルセロナ のユースチームにスカウトされる。
FCバルセロナ からのスカウトをきっかけに、彼のキャリアは大きく飛躍することになる。まず、FCバルセロナ のユースチームでジュニアリーグ制覇。
1998年、ミュンヘン で開催されたジュニア国際大会(アルバート・シュヴァイツァー・トーナメント)でスペインのジュニア代表として参加し優勝。同年、ヴァルナ (ブルガリア) で開催されたU-18欧州選手権 にU-18スペイン代表として参加し優勝。
プロデビュー(FCバルセロナ)
1999年に、18歳でFCバルセロナ のトップチームに昇格しプロデビュー。これが「自分の未来はプロバスケットの世界にある」と決心させた。
同年夏にリスボン で開催されたジュニア世界選手権 にU-18スペイン代表として参加。フアン・カルロス・ナバーロ 、ラウル・ロペス 、フェリペ・レジェス 、カルロス・カベサス らを擁したスペインは決勝戦で、ニック・コリソン 、ボビー・シモンズ 、キーオン・ドゥーリング らを擁するU-18アメリカ代表 を倒して優勝。後にこのスペインの世代は黄金世代(Golden Boys)と呼ばれるようになる。
リーガACB でのラストシーズンとなった2000-2001シーズンは圧巻だった。国内リーグ(リーガACB )とスペイン国王杯(コパ・デル・レイ )の両方を制し、両方でMVPを受賞した。特に、スペイン国王杯 の決勝戦(vsレアル・マドリード・バロンセスト )では、スペイン史上有数の選手でスペイン代表 のアルベルト・エレーロス 相手に、10代ながら堂々のプレイをし、26点を獲得した。この試合にNBA のスカウト達も注目し、ガソルにコンタクトを取った。
これら国内リーグでの活躍と1999年のジュニア世界選手権 優勝。この二つがガソルにNBA 行きを決心させた。
2001年のNBAドラフト にエントリーすることを決意したガソルだったが、FCバルセロナ との契約がまだ残っていたため違約金が発生した。パウはこの違約金の一部を自ら支払っている。それ程までにガソルはNBAに挑戦したかったのである。
NBA
メンフィス・グリズリーズ
メンフィス 時代のパウ
2001年のNBAドラフト でアトランタ・ホークス から全体3位指名を受けた後、シャリーフ・アブドゥル・ラヒーム とのトレードでメンフィス・グリズリーズ 入りを果たした。1年目は、言葉や生活習慣の違いに苦労したが、両親をアメリカに呼び寄せたり、同期のシェーン・バティエ と親交を深めたりすることで、生活面の不安は徐々に減っていった。
プレー面では、当時まだ線が細かったため、守備でパワー負けすることはあったが、オフェンススキルのセンスと多彩さはNBAでも即戦力で、安定したプレーを見せ、1年目から平均17.6点,8.9リバウンド, 2.7アシストとチームの中心選手となる活躍をし、2001-2002シーズンの新人王 を受賞した。
しかし、グリズリーズはリーグの最下層チームとして低迷。デビュー2年はプレーオフにも出場できずにいたが、ヘッドコーチが名将、ヒュービー・ブラウン に交代したのをきっかけに、チーム成績は上昇。2003-2004シーズンにフランチャイズ史上初のプレーオフ進出を果たした。このときガソルの成績は下降したが、ブラウンが10人ローテーションを行ったためである。しかしながらプレーオフではファーストラウンド敗退に終った。続く2004-2005シーズンも8位シードながらプレーオフに進出するが、またしてもファーストラウンド敗退の苦汁をなめている。
2005-2006シーズンは、大幅な入れ替えを行ったチームの大黒柱として奮起。キャリア最高の数字を残し、自身初のNBAオールスターゲーム 出場を決めた。これまではヨーロッパ出身者特有の、ビッグマンながら柔らかいシュートタッチが持ち味の1つだったが、このシーズンはアシストにも開眼。前シーズンに比べ2本以上の上昇を果たした。またチームは3年連続でプレーオフ進出を果たした。しかし、またしても1勝もできずに1回戦敗退。大黒柱として苦しい経験を味わうことになった。
世界選手権 での負傷(後述)によって、2006-07シーズンの開幕には間に合わせることができなかった。当初は年明けの2007年 1月の復帰と報じられたが、12月15日のアトランタ・ホークス 戦で復帰。徐々に出場時間を延ばして試合感覚を戻していった。
ロサンゼルス・レイカーズ
08年 NBAファイナル 第2戦にてダンク をするガソル
2007-08シーズン途中の2月、プレーオフに向けてクワミ・ブラウン 、ジャバリス・クリッテントン 、引退していたアーロン・マッキー の契約権、将来のドラフト1巡目指名権2つとのトレードでロサンゼルス・レイカーズ に移籍した[ 3] 。レイカーズが大きな損失無く大幅な補強に成功したこのトレードは、その他のウェスタンカンファレンスの強豪チームに危機感を抱かせ、その後のシャキール・オニール 、ショーン・マリオン 、ジェイソン・キッド 、カート・トーマス などの大物選手のトレードの呼び水となった。ガソルの加入によりレイカーズは躍進を遂げ、彼自身は初めてプレーオフで勝利し、勢いのまま自身初のNBAファイナル に進出。ファイナルではボストン・セルティックス に敗れたものの、続く08-09シーズンには決勝でオーランド・マジック を破って優勝した。ガソル自身は相手のエースのドワイト・ハワード をレギュラーシーズン以下の成績に押さえ込む一方で、FG成功率は60%超えを記録するなど攻守にわたって活躍した。更に09-10シーズンもファイナルに出場。ボストン・セルティックス との再戦となったこの戦いでは活躍を見せ連覇に貢献した。
シカゴ・ブルズ
ブルズでのガソル (2015年)
2014年7月12日、シカゴ・ブルズ への移籍が発表された[ 4] 。2015年1月11日のミルウォーキー・バックス との対戦で、キャリアハイの46ポイントを記録した。 [ 5] 2015年1月22日には、NBAオールスターゲーム のスターターにも選出され、弟のマーク・ガソル とのオールスターゲームでの共演が実現した。
サンアントニオ・スパーズ
2016年7月4日、サンアントニオ・スパーズ と2年3000万ドルで契約。3度目のNBAチャンピオン への最後のチャンスに挑むことになった[ 6] 。加入1年目の2016-17シーズンは、開幕から、ティム・ダンカン に替わるスターターとして39試合に出場し、オフェンスでの貢献はあるものの、ディフェンスに関しては引退直前であった昨シーズンのダンカンに及ばず、出場時間が限定されていた。2017年1月19日のデンバー・ナゲッツ 戦前のウォームアップ中に左手第4中手骨 を骨折し、長期の欠場を余儀なくされた[ 7] 。オールスターゲーム後に戦線復帰。シーズン最終戦のユタ・ジャズ 戦で通算20000得点を記録し、ダーク・ノヴィツキー に次ぐ ヨーロッパ出身選手の通算20000得点 、更にカリーム・アブドゥル=ジャバー 、ティム・ダンカン 、ケビン・ガーネット に次ぐ、リーグ史上4人目の 通算20000得点 15000リバウンド 3500アシスト 1500ブロックショット を達成した[ 8] 。
2017年 7月に1度スパーズとの契約を解消したが、21日に3年4800万ドルで契約を結び直した[ 9] 。
ミルウォーキー・バックス
2019年3月2日、サンアントニオ・スパーズ との契約解消に合意。その2日後の4日、ミルウォーキー・バックス と契約。移籍前から左足の怪我に悩まされていたが、5月10日に疲労骨折していた左足を手術し、プレイオフの残りを全休することが報じられた。移籍後の出場試合はレギュラーシーズンの3試合のみとなった。
母国に復帰
2021年2月21日、古巣のFCバルセロナと契約し、現役復帰を果たした[ 10] 。
現役引退へ
2021年10月5日、現役引退を発表した。これを受けてロサンゼルス・レイカーズは、ガソルが在籍時に着用していた背番号『16 』の永久欠番化を検討していると報じられた[ 11] [ 12] [ 13] [ 14] 。
スペイン代表
オリンピック
2004年のアテネオリンピック でスペイン代表 デビュー。しかし12チーム中7位に終わった。
2008年の北京オリンピック では銀メダルを獲得、個人では平均19.6得点と大会得点王となる活躍を見せた。決勝ではガソル兄弟を中心とした高さでアメリカ を苦しめ、試合終盤までアメリカ代表 に食い下がり、スペイン代表 の強さを改めて世界に示した。
2012年ロンドンオリンピックの開会式 ではスペイン選手団 の旗手を務めた。
2016年リオデジャネイロオリンピック で、代表に復帰している。銅メダル獲得。
2020年東京オリンピック で、決勝トーナメント進出に貢献する。
バスケットボール世界選手権
2006年 8月から9月にかけて開催された2006年バスケットボール世界選手権 日本大会に出場。スペインはダーク・ノヴィツキー 擁するドイツ代表 や開催国の日本代表 などを降し、グループBを1位で通過した。ファイナルラウンドでは順当に勝ち進むもの、準決勝のアルゼンチン代表 相手には1点差の辛勝だった。しかも、このアルゼンチン戦でガソルは負傷退場し、弟のマーク・ガソル に助けられながらベンチを後にした。診断の結果は第5中足骨基部骨折 。全治3か月で、NBAの11月開幕までの復帰は絶望的になってしまった。スペインの決勝戦の相手は、大方の予想だったアメリカ代表 ではなく、欧州王者のギリシャ代表 だった。スペイン代表は「Pau tambien juega (パウも共にプレイしている)」と書かれたTシャツを着て入場した。ガソルは足を引きずりながらも、ベンチから声援を送った。当初はガソル欠場で不安視されていた試合だが、スペインが圧倒的な強さを誇って序盤からギリシャを圧倒、ギリシャはアメリカ戦の疲れからかシュート成功率が非常に低かった。終わってみれば70-47の大勝で、スペインは初の「世界王者」のタイトルを勝ち取った。優勝が決定すると、ガソルは弟マークや仲間達と抱擁を繰り返し、目に涙を浮かべながら喜びを分かち合った。
ガソルは大会のオールスターファイブ(最も活躍した5選手)に選出された。また、この中からメディア投票によって決定する大会MVP にも選ばれた。決勝は欠場したものの、ダブル・ダブル を3回記録するなどスペインを牽引し、それらの好成績が高く評価された結果といえる。
プレースタイル
ゴール付近で驚異的な強さを誇るビッグマン。バリエーション豊富なシュートセレクションを持っており、状況に応じてフックシュートやドライブイン、またジャンプシュートで得点を量産する。ローポストからハイポストまで攻撃範囲が広く、スピードもあるため相手センターをゴール下から引きずり出しての1オン1にも強い。ヨーロッパ出身選手らしくフリースロー を苦手にしていない(ただし3ポイントシュートは滅多に打たないが、決めることも可能)。パスセンスも高く、自らフィニッシュに行くと見せかけてフリーの味方に絶妙なアシストを送る。ディフェンス面でもリバウンド、ブロックショット の能力にも長けており、アンセルフィッシュで、汚れ役も厭わない。
その一方でセンター としては細身な体型のためパワー勝負を弱点としている事や、メンタル面の弱さがプレーに影響する事も決して少なくなく、「ソフト」と揶揄される事も多い。
個人成績
NBAレギュラーシーズン
シーズン
チーム
GP
GS
MPG
FG%
3P%
FT%
RPG
APG
SPG
BPG
PPG
2001–02
グリズリーズ
82
79
36.7
.518
.200
.709
8.9
2.7
.5
2.1
17.6
2002–03
グリズリーズ
82
82
36.0
.510
.100
.736
8.8
2.8
.4
1.8
19.0
2003–04
グリズリーズ
78
78
31.5
.482
.267
.714
7.7
2.5
.6
1.7
17.7
2004–05
グリズリーズ
56
53
32.0
.514
.167
.768
7.3
2.4
.7
1.7
17.8
2005–06
グリズリーズ
80
80
39.2
.503
.250
.689
8.9
4.6
.6
1.9
20.4
2006–07
グリズリーズ
59
59
36.2
.538
.273
.748
9.8
3.4
.5
2.1
20.8
2007–08
グリズリーズ
39
39
36.7
.501
.267
.819
8.8
3.0
.4
1.4
18.9
2007–08
レイカーズ
27
27
34.0
.589
.000
.789
7.8
3.5
.5
1.6
18.8
2008–09
レイカーズ
81
81
37.0
.567
.500
.781
9.6
3.5
.6
1.0
18.9
2009–10
レイカーズ
65
65
37.0
.536
.000
.790
11.3
3.4
.6
1.7
18.3
2010–11
レイカーズ
82
82
37.0
.529
.333
.823
10.2
3.3
.6
1.6
18.8
2011–12
レイカーズ
65
65
37.4
.501
.259
.782
10.4
3.6
.6
1.4
17.4
2012–13
レイカーズ
49
42
33.8
.466
.286
.702
8.6
4.1
.5
1.2
13.7
2013–14
レイカーズ
60
60
31.4
.480
.286
.736
9.7
3.4
.5
1.5
17.4
2014–15
ブルズ
78
78
34.4
.494
.462
.803
11.8
2.7
.3
1.9
18.5
2015–16
ブルズ
72
72
31.8
.469
.348
.792
11.0
4.1
.6
2.0
16.5
2016–17
スパーズ
64
39
25.4
.502
.538
.707
7.8
2.3
.4
1.1
12.4
2017–18
スパーズ
77
63
23.5
.458
.358
.756
8.0
3.1
.3
1.0
10.1
2018–19
スパーズ
27
6
12.2
.466
.500
.711
4.7
1.9
.2
.5
4.2
バックス
3
0
10.0
.167
.333
.500
3.3
.7
.0
.3
1.3
キャリア
1,226
1,150
33.4
.507
.368
.753
9.2
3.2
.5
1.6
17.0
オールスター
6
1
19.3
.565
.000
.846
8.7
1.2
.7
.7
10.5
プレーオフ
シーズン
チーム
GP
GS
MPG
FG%
3P%
FT%
RPG
APG
SPG
BPG
PPG
2004
グリズリーズ
4
4
33.5
.571
.000
.900
5.0
2.5
1.0
1.5
18.5
2005
グリズリーズ
4
4
33.3
.488
1.000
.500
7.5
2.5
.5
1.8
21.3
2006
グリズリーズ
4
4
39.5
.433
.000
.767
6.8
3.0
.5
1.2
20.3
2008
レイカーズ
21
21
39.8
.530
.000
.692
9.3
4.0
.5
1.9
16.9
2009
レイカーズ
23
23
40.5
.580
.000
.714
10.8
2.5
.8
2.0
18.3
2010
レイカーズ
23
23
39.7
.539
.000
.759
11.1
3.5
.4
2.1
19.6
2011
レイカーズ
10
10
35.8
.420
.500
.800
7.8
3.8
.4
1.7
13.1
2012
レイカーズ
12
12
37.0
.434
.400
.828
9.5
3.7
.5
2.1
12.5
2013
レイカーズ
4
4
36.5
.481
.000
.545
11.5
6.3
.5
.8
14.0
2015
ブルズ
10
10
31.7
.487
.000
.762
9.4
3.1
.5
2.1
14.4
2016
ブルズ
10
10
31.7
.487
.000
.762
9.4
3.1
.5
2.1
14.4
2017
スパーズ
16
7
22.8
.439
.333
.708
7.1
1.9
.4
.9
7.7
2018
スパーズ
5
0
18.0
.500
.333
.900
4.8
2.8
.0
.2
6.0
キャリア
136
122
35.5
.508
.297
.741
9.2
3.2
.5
1.7
15.4
ユーロリーグ
シーズン
チーム
GP
GS
MPG
FG%
3P%
FT%
RPG
APG
SPG
BPG
PPG
PIR
2000–01
FCバルセロナ
6
5
25.7
.667
.500
.738
6.0
.7
.8
.7
18.5
22.5
2020–21[ 15]
FCバルセロナ
7
2
9.5
.429
.500
.714
2.4
.4
.4
.9
4.6
6.0
キャリア
13
7
17.1
.614
.500
.735
4.1
.5
.6
.8
11.0
13.6
脚注
^ Chuck Culpepper (February 10, 2008). “The Tao of Pau” . Los Angeles Times . http://articles.latimes.com/2008/feb/10/sports/sp-gasol10 December 30, 2009 閲覧。 )
^ “Right Name, Wrong Genes: The Top 50 Less Talented Relatives of Superstars ”. bleacherreport.com (2010年9月7日). 2012年3月25日 閲覧。
^ NBA情報室
^ “パウ・ガソルがブルズ移籍を発表 ”. AFPBB (2014年7月13日). 2014年7月13日 閲覧。
^ “Gasol powers Bulls past Bucks, 95-87 ”. NBA.com . Turner Sports Interactive, Inc. (January 10, 2015). January 11, 2017 閲覧。
^ Pau Gasol is signing with the Spurs a two-year, $30 million contract
^ Spurs' Pau Gasol underwent hand surgery, expected to miss at least one month
^ Pau Gasol becomes second European player to score 20.000 points in the NBA
^ Pau Gasol has agreed on a three-year deal to return to the San Antonio Spurs
^ “ポウ・ガソルがバルサに復帰! 東京五輪出場に意欲 ”. SPORT.es.jp (2021年2月21日). 2021年2月28日 閲覧。
^ “Pau Gasol retires, Lakers reportedly planning to hang up No. 16 ” (英語). NBA.com (2021年10月5日). 2021年10月6日 閲覧。
^ “2度のNBA制覇を成し遂げたパウ・ガソルが現役引退を表明「難しい決断だったけれど…」 ”. バスケットボールキング (2021年10月6日). 2021年10月6日 閲覧。
^ “レイカーズとスペイン代表のレジェンド、パウ・ガソルが現役引退「41歳までプレーできたのだから、悪くないキャリアだ」 ”. バスケットカウント (2021年10月6日). 2021年10月6日 閲覧。
^ “パウガソル引退ギャラリー ”. FCバルセロナ (2021年10月6日). 2021年10月6日 閲覧。
^ “GASOL, PAU - Welcome to EUROLEAGUE BASKETBALL ”. www.euroleague.net . 2021年10月6日 閲覧。
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
パウ・ガソル に関連するカテゴリがあります。
関連項目 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代