バーラト・ブーシャン(Bharat Bhushan、1920年6月14日 - 1992年1月27日)は、インドのヒンディー語映画で活動した俳優、脚本家、映画プロデューサー。
生涯
1920年6月14日にメーラトに暮らすヴァイシャの家庭に生まれ、「バーラトブーシャン・グプタ(Bharatbhushan Gupta)」と名付けられた。父ラーイバハードゥル・モーティラールは植民地政庁の弁護士として働いていた。2歳の時に母と死別し、兄ラメーシュチャンドラ・グプタと共に祖父が暮らすアリーガルに移住した後、同地のダラム・サマジ・カレッジを卒業した。卒業後、兄弟は父の反対を押し切り映画業界の道に進み、ラメーシュチャンドラは映画プロデューサーとなってラクナウに映画スタジオを設立し[1]、バーラト・ブーシャンはカルカッタで活動した後にボンベイに活動拠点を移した。1941年にキダール・シャルマ(英語版)の『Chitralekha』で俳優デビューするが[2]、その後は不遇の期間が続き、1952年に出演した『Baiju Bawra』で人気俳優の地位を確立した。1950年代から1960年代にかけて活躍し、悲劇の音楽家の役を多く演じた。代表作には『Basant Bahar』があり[3]、『Gateway of India』『Phagun』『Barsaat Ki Raat』ではマドゥバーラー(英語版)との共演が人気を集めた[4]。
彼は故郷メーラトのザミーンダールであるラーイバハードゥル・ブッダ・プラカーシュの娘サルラと結婚し、2女(アヌラーダー、アパラジータ)をもうけた。サルラは『Barsaat Ki Raat』が公開されて間もなく、次女アパラジータを出産直後に死去している。1967年に『Barsaat Ki Raat』で共演した女優ラトナーと再婚し、彼女は多くの映画でバーラト・ブーシャンの友人役や妹役を演じており、このほかに『高慢と偏見』の翻案作品『Trishna』などのテレビドラマにも出演している。アパラジータは女優として50本以上の映画やテレビドラマに出演し、代表作にはラーマチャンド・サーガル(英語版)の『Ramayan』がある。
兄に誘われて共同プロデューサーとして映画製作にも携わったが数本を除いて成功作には恵まれず[1]、資金難に陥ったためにコレクション品だった大量の書籍や自動車、バンガローを手放すことになったという。この時に手放したバーンドラ(英語版)のバンガローは「アーシルワード・バンガロー」の名称で知られており、ラージェーンドラ・クマール(英語版)に売却された後、ラージェーシュ・カンナー(英語版)の所有物となった[5]。彼は資産を売却して負債を返済した後、1992年1月27日に死去した[6]。
フィルモグラフィー
受賞歴
出典
参考文献
外部リンク
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1954-1960年 | |
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1961-1980年 | |
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1981-2000年 | |
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2001-2020年 | |
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2021-2040年 | |
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