Sequenti die aurora apparente, altis vocibus Baphometh invocaverunt; et nos Deum nostrum in cordibus nostris deprecantes, impetum facientes in eos, de muris civitatis omnes expulimus.[9]
第1回十字軍の記録者であったアギレールのレイモン(英語版)は、トルバドゥールらは Bafomet という言葉をムハンマドを指すものとして、Bafumaria という言葉をモスクを指すものとしてそれぞれ使用していたと報告している[11]。その後 Bafometz の名前は1195年ごろの吟遊詩人ガヴォダンによるプロヴァンス語詩『Senhors, per los nostres peccatz』に登場している[12]。第7回十字軍の敗北を嘆くAustorc d'Aorlhacによる1250年ごろのプロバンス語詩では、再びムハンマドを指すものとして Bafomet の言葉が使用されている[13]。また、De Bafomet は、ラモン・リュイの最古の著作として知られる『Libre de la doctrina pueril』のオック語訳版の現存する4章のうちの1つの章題になっている[14]。
—ジュール・ミシュレ, History of France (1860), page 375.[7]
バフォメットの名前は、信憑性の計り知れない自白の中にいくつか登場する[3]。ピーター・パートナーは1987年の著書『The Knights Templar and their Myth』にて「テンプル騎士団の裁判における主な罪状のうちの一つは、バフォメット(=マホメット)として知られる異教の偶像の頭を崇拝したとされることであった。」と述べている[20]。崇拝対象に対する言及の内容は自白ごとに変化しており、ある者は何も知らなかったとした傍ら、拷問を受けた者の自白の内には、それは生首であったり、猫であったり、あるいは3つの顔を持つ頭であったりというような内容が含まれていたこともあった[21]。テンプル騎士団は聖遺物箱(英語版)の中にいくつかの銀で鍍金された頭を所有しており[22]、capud lviiimと記されたもの[23]、聖エウフェミアと記されたもの[24]、そして騎士団の創始者であるユーグ・ド・パイアン(英語版)の実物の頭蓋とされるものがあった[25]。バフォメットという名の偶像に対する言及は、テンプル騎士団に対する審問特有のものであった[26][27]。『テンプル騎士団百科事典』の著者であるカレン・ロールズは「テンプル騎士団憲章にも他の中世のテンプル騎士団に関する文書にも(バフォメットに関する)具体的な証拠が出て来ないこと」は重要であると主張する[28]。
—トーマス・ライト(英語版), The Worship of the Generative Powers (1865), page 138.[29]
バフォメットが英国で注目を浴び、一般的に使用されるようになったのは、19世紀にテンプル騎士団の弾圧の背景を巡る議論・論争がされた時期以降である[31]。現代の歴史学者の見解は、バフォメットの名前が「ムハンマド」を指す古フランス語の転訛から来ているということで概ね一致している[3][32]。テンプル騎士団の一部がウトラメールの設立を経てムスリムらを占領する中で、自分たちの信念の体系にイスラム教的な考え方を導入し始めたものと解釈されており、結局これは異端審問官により異端と見なされたということである[33]。一方、アラン・ドゥムルジェ(英語版)はテンプル騎士団員が敵の教義を採用したのではないかという見解を否定している[34]。また、ヘレン・ニコルソン(英語版)は、テンプル騎士団への告発内容は本質的に「ごまかし」であり、当時騎士団は「まるでおとぎ話に出てくるようなムスリムになったとして告発された」としている[34]。中世のキリスト教徒らは、イスラム教徒は偶像崇拝でありムハンマドを神として崇拝していると思い込んでいた[3]。一部の武勲詩はイスラム教徒がこの種の偶像崇拝を行っていたとしており、例えば聖ホノラトゥス(英語版)の生涯を描いた1300年のプロバンス語詩には Bafum e Travagan という名の神々が登場する[35] 。また、1235年までに書かれた『Chanson de Simon Pouille』ではイスラム教徒の偶像は Bafumetz と呼ばれている[36]。
「メンデスのバフォメット」の腕には、上がっている方(右腕)に「Solve」(溶解させる)、下がっている方(左腕)に「Coagula」(凝固させる)、と記されている[41]。これは中世錬金術のラテン語「Solve et Coagula」が元であり、「溶かして(分解して)固めよ」「分析して統合せよ」「解体して統合せよ」といった意味となり[42]、卑金属から貴金属を作り出す狭義の錬金術だけでなく、人間の知のあり方や、世界の変革という広義の錬金術にまで、幅広く応用される言葉である[43]。
^Michaud, Joseph Francois (1853). The History of the Crusades. 3. p. 497. https://books.google.com/books?id=mAcMAAAAYAAJ&pg=PA497. "Raimundus de Agiles says of the Mahometans: In ecclesiis autem magnis Bafumarias faciebant ... habebant monticulum ubi duæ erant Bafumariæ。The troubadours employ Baformaria for mosque, and Bafomet for Mahomet."
Ab Luy venseretz totz los cas
Cuy Bafometz a escarnitz
e·ls renegatz outrasalhitz.
彼(イエス)の助けがあれば全ての敵を打ち倒せるでしょう
マホメットが惑わせた犬たちも
厚かましい反逆者たちも。
^Austorc, Pillet-Carstens 40, 1, quoted in Jaye Puckett, "Reconmenciez novele estoire: The Troubadours and the Rhetoric of the Later Crusades," Modern Language Notes(英語版), 116.4, French Issue (September 2001:844–889), p. 878, note 59. Kurt Lewent, "Old Provençal Lai, Lai on, and on," Modern Language Notes, 79.3, French Issue (May 1964:296–308), p. 302.
^Zorzi, Diego (1954). “Un frammento provenzale della Doctrina Pueril di Raimondo Lull”. Aevum28 (4): 345–349.
Barber, Malcolm (1994), The New Knighthood: A History of the Order of the Temple, Cambridge University Press, ISBN978-0-521-42041-9
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Barber, Malcolm; Bate, Keith (2010), Letters from the East: Crusaders, Pilgrims and Settlers in the 12th-13th Centuries, Ashgate Publishing, ISBN978-0-7546-6356-0
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