ハン・スーイン
ハン・スーイン(韓 素音、1916年9月12日 - 2012年11月2日)は、中国出身の混血の著作家、医師。ハン・スーインは筆名であり、本名はエリザベス・コンバー (Elizabeth Comber) 、出生名は周光瑚 (Rosalie Matilda Kuanghu Chow) 。 来歴・活動中国人技術者の父とベルギー人の母の間に生まれる。1931年に北京の病院で事務の仕事につき、のち燕京大学(のちの北京大学)に入学する。 1935年に、母の故郷のベルギーのブリュッセル大学に留学して自然科学を学び、日中戦争さなかの1938年帰国して、成都のアメリカキリスト教病院で働く。中華民国軍の軍人と結婚し、夫は後に将校となる。 第二次世界大戦中の1942年に処女作『重慶行き』を執筆。1944年に渡英、ロンドン大学で医学を学ぶが、1947年に夫は国共内戦における共産党軍との戦闘で死去した。1948年に医師資格を獲得、1949年に英領香港に戻り、クイーン・メアリー病院に勤務する。 1952年に、イギリス軍人のコンバーと再婚し英領マレーに行き、ジョホールバルとシンガポールで開業、自伝的小説「多くの輝きをもつもの」を刊行した。1955年には、シンガポールで南洋大学(現・南洋理工大学)設立に貢献する。またその年、「多くの輝きをもつもの」がハリウッドで映画化されヒットする。日本でも『慕情』の題で公開された。 その後コンバーと離婚し、インド人の大尉と結婚するが2003年死別、その後はスイスに在住する。 2012年11月2日、スイスローザンヌの自宅で死去[1]。96歳没。 代表作代表作としてほかに『四つの顔』(1963年)、半自伝的歴史小説三部作『悲傷の樹』(1965年)、『転生の花』(1966年)、『無鳥の夏』(1968年)があり、ほかに『暁の豪雨』(1972年)、『塔の風』(1976年)、『ハン・スーインの中国』(1987年)などがある。その他数多くの東洋と西洋の軋轢をテーマとした小説を執筆している。 日本語訳書
脚注
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