バルトは、北アフリカと中東への大旅行を計画し、父親に出資の承諾を取り付けた。1845年1月の終わりに両親を家に残して、まずはロンドンへ行き、そこで2ヶ月かけてアラビア語を習った。また、大英博物館を訪れたり、大英帝国領事の保護を旅の間に受けられる保証を取り付けたりした。ロンドンにいる間、駐英プロイセン大使、クリスティアン・フォン・ブンゼン(英語版)にも面会した。大使はのちにバルトの中央アフリカの旅において重要な役割を演じることとなる。バルトはロンドンを発つとフランスとスペインを横断して、8月7日、ジブラルタルからタンジールへ向かうフェリーに乗った。このときはじめてアフリカの地を踏んだ[8][9][10]。タンジールから陸路で北アフリカを横断し、エジプトに到着すると、ナイル川をさかのぼってワジハルファへ向かった。そこから砂漠を超えて紅海に面したベレニース港(ベレニケ・トログロディティカ)へ行った。エジプトでは強盗に襲われ、負傷したが、その後彼はシナイ半島を横断して、パレスチナ、シリア、小アジア、トルコ、ギリシャを渡り歩き、古代の遺物が調査されているところならどこへでも行った。バルトが両親の待つハンブルクの家へ戻ったのは1847年12月27日のことで、旅に出てからおよそ3年がたっていた[11]。しばらくの間、バルトはハンブルクで私講師の職に就く一方で、旅で経験したことを本にまとめた。『地中海沿岸諸国漫遊記[注釈 1]』( 原題:Wanderungen durch die Küstenländer des Mittelmeeres )と題した彼の本の第一巻は、1849年に出版された[12]。二巻目の出版も企図されていたが、出版はされなかった[13]。
原因不明の病気でリチャードソンが1851年3月に亡くなり、オフェルヴェッヘも1852年9月に亡くなったため、残されたバルトは科学的な任務を単独で続けた。1851年にハウサ諸国の一つ、アダマワ(英語版)を訪れ、1855年9月にトリポリに帰着した。彼が旅した範囲は、北はトリポリから南はナイジェリアのアダマワまで、緯度にして24度を超え、東はチャド湖とバギルミ王国(英語版)から西はトンブクトゥまで、経度にして20度を超える。総距離は 19,000 km に及んだ。バルトは、彼が訪れた国々の地形、歴史、文化、言語、資源を詳細に研究した。彼のアフリカ探検家、アフリカ史研究家としての成功は、彼の忍耐強い性格と学識に基づくものであった。
ロンドンに帰還するとバルトは、旅の詳細をつづった旅行記『北部及び中部アフリカにおける旅と発見』五巻本、3500ページ余りを書き、英語版とドイツ語版とを同時に出版した(原題: Reisen und Entdeckungen in Nord- und Centralafrika (Travels and Discoveries in North and Central Africa; 1857–1858) )。同書にはバルト自身が描いたスケッチに基づいてヨハン・マルティン・ベルナッツ(英語版)が制作した彩色図版が含まれている[14]。同書は同種の旅行記の中でも最も質の良いものであると考えられた。チャールズ・ダーウィンの著書にも引用されたことがある[15]。また、21世紀現代のアフリカ史研究者に、今でも利用されており、アフリカの文化に関する科学的分析にとって重要な資料であり続けている。
Barth, Heinrich (1857–1858) (German). Reisen und Entdeckungen in Nord- und Central-afrika in den Jahren 1849 bis 1855 (5 volumes). Gotha: J. PerthesVolume 1, Volume 2, Volume 3, Volume 4, Volume 5
Barth's Travels in Nigeria : extracts from the journal of Heinrich Barth's travels in Nigeria, 1850-1855. London: Oxford University Press. (1962). OCLC6083393
Boahen, Albert Adu (1964). Britain, the Sahara and the Western Sudan, 1788-1861. Oxford: Claredon Press. ISBN978-0-19-821625-4
de Moraes Farias, Paulo Fernando; Diawara, Mamadou; Spittler, Gerd, eds (2006) (French, English). Heinrich Barth et l'Afrique. Köppe. ISBN978-3-89645-220-7
Masonen, Pekka (2000). The Negroland Revisited: Discovery and Invention of the Sudanese Middle Ages. Helsinki: Finnish Academy of Science and Letters. pp. 397–418. ISBN951-41-0886-8
Schiffers, Heinrich (1967). “Heinrich Barth Lebensweg”. In Schiffers, H. (German). Heinrich Barth. Ein Forscher in Afrika. Leben - Werk - Leistung. Eine Sammlung von Beiträgen zum 100. Todestag am 25 November 1965. Wiesbaden: Steiner. pp. 1–57. OCLC5182712
Heinrich-Barth-Institut for Archaeology and Environmental History of Africa (Heinrich-Barth-Institut e.V. für Archäologie und Umweltgeschichte Afrikas), University of Cologne
Scan of one of Barth's notebooks, Gallica. Contains vocabulary and fragments of his journal between 18 November 1853 and 31 July 1854.