ノート:衛氏朝鮮1.112.38.135の「これらの一連の話がどの程度史実と認められるかは論争がある。ほぼ同時代史料といえる『史記』にはこれらの記述は一切なく、衛満は何もない空白地帯に建国したように読める[1]」 これは中国人の箕子朝鮮を否定するための韓国人ナショナリストの完全な独自研究。見たくないものでもしっかり見なきゃ。ナショナリズムで歴史は消したり作ったりはできない。 礪波護、武田幸男「隋唐帝国と古代朝鮮」『世界の歴史6』中央公論社、1997年 「そしてその朝鮮では、王位は箕否から最後の箕準へとうけ継がれた。この朝鮮がいわゆる箕子朝鮮であった。」264頁 「確実なのは朝鮮はかなり古くから、遅くとも紀元前四~三世紀ごろには実在していたということである。」264頁 「さて、行きさきを急いだ衛満は、身なりを現地風にかえて浿水を渡った。浿水はいまの鴨緑江である。浿水を渡れば、そこはもう朝鮮であった。衛満はさっそく朝鮮王の箕準にとりいり、われわれ亡命者が朝鮮を護るなどとたくみに説いて、朝鮮の西境地帯に亡命者コロニーを築きあげた。一説によると、秦・漢の混乱期以来、ここに逃げこんだ中国人は数万人にのぼっていたという。かれはさらに燕・斉・趙からの亡命者を誘いいれ、コロニーの指導者となり、朝鮮乗っ取りの機会をうかがった。そこで衛満は、ひと芝居をうった。前漢が攻めてきたと詐り、箕準を護るという口実で、みずから軍隊を率い、王都の王険城に乗りこんだ。その結果は言うまでもない。『魏略』はそのときの情況について、『準は満と戦ったが、勝負にならなかった』と書きのこした。」266頁--219.111.109.176 2016年6月30日 (木) 13:30 (UTC)
宇山卓栄氏の言説を削除することについてノート:宇山卓栄において歴史学の非専門家である宇山卓栄氏の言説を削除することを提案しています。--らりた(会話) 2022年11月30日 (水) 12:10 (UTC) 記事の整理についてノート:高句麗論争で書いた内容とほとんど同じなのですが、本記事は記事の後世、非学術的な出典からの引用、学術的な出典の場合でも原文の文脈の無視といった大きな問題がある状態であり、最低限の改善として以下の節の削除を提案します。 主たる問題点はこの両節が、関係ありそうなことを書いている出典の内容を書き集めて並べている状態で雑多な情報の羅列となっていること。中国・韓国・北朝鮮の教科書の書き方について異常な強調をしていること。また各国の「捉え方」的な記述も史学史・研究史的な観点が欠如しており、特定のメッセージを伝えるための文書となっていることです。構成的には衛氏朝鮮が燕人(中国人)による植民地政権であったという捉え方を否定する韓国(のナショナリスト)⇒衛氏朝鮮は燕人の衛満が建てたという記述に関連するする韓国の中学・高校相当の教科書からの大量の引用⇒日本の研究者(および非学術的出典)の著作にある「燕人の衛満」という記述を含む部分からの引用の無秩序な羅列(これによって「衛氏朝鮮が燕人(中国人)による植民地政権であったという捉え方を否定する韓国(のナショナリスト)」の見解を暗に否定する)というものになっています。現状からの手直しも少し考えてみましたが、元々の記事の大部分が主題である「衛氏朝鮮」自体を説明することに興味を持って書かれていないのは明らかで、単純に上記2つの節は一度削除してしまった方が良いと考えます。--TEN(会話) 2023年2月24日 (金) 04:06 (UTC)
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