ノート:朝永振一郎
中間結合論朝永振一郎と直接関係なくて申し訳ないのですが、業績の一つにある中間結合論がBCS理論の三本柱という記述があるのですが、他の二つは何なんでしょうか?この三本柱は一般的に認められているのでしょうか?ご存知の方がいらしたら、教えていただけませんでしょうか。--Serval 2011年9月4日 (日) 18:26 (UTC)
「ゲージ」について222.226.220.196氏(=過去ログ中の"問題IP氏")の編集の特徴の一つとして、「ゲージ」という単語にやたらとこだわり、「ゲージ」という単語を基軸に(むりやりにつなげて)歴史をまとめるという点があります。この項目では、朝永の仕事として「超多時間理論」「くりこみ理論」とともに「可換ゲージによる量子電磁力学の表現形式」(この書き方も違和感が大きい)が挙げられていますが、朝永の仕事として「ゲージ」を他の2つと並べて挙げることには大きな違和感があります。電磁場や、その量子論にゲージという概念を持ち込んだのは朝永ではありませんし、量子電磁力学の発展に関して「ゲージ」という観点で朝永が新たな視点を与えたという話は聞いたことがありません。(Nakanishi-LautrapやBRSとかを挙げるならわかります) また、ゲージ理論やくりこみが「以後の理論建築の指針となる」と書かれていますが、同じゲージ理論でもQEDとQCDやWS理論の間には大きな隔たりがあり、60年代あたりに紆余曲折を経ているわけですが、それをすっ飛ばして、何でも朝永の影響のごとくに詰め込むのは却って朝永の業績の評価を歪めることになるのではないでしょうか。個人的には「ゲージ」という観点での記述は慎重になるべきだと考えます。--NS5-brane 2011年9月8日 (木) 13:04 (UTC) NS5-brane大先生QCDやWS理論や重力理論の繰り込みまで朝永がやったようにも読めてしまう。「くりこみ」や「場の量子論」に書いておけば十分。) (取り消し) 以上のNS5-brane大先生の話は、ちょっと理解できなかったので、どうしてそのように読むのだろうと思ってしまいました。変な読み方をする。ですが、NS-brane大先生の書いた次を読んで理解できました。自分を私に投影しておられるのかと。 NS5-brane大先生のテキスト
NS5-brane大先生のテキスト分析NS5-brane大先生は物理学会誌を引用しておられ、物理学会の会員であられると思われます。したがって、「南部先生が、『後藤鉄男が弦のラグランジアンを考案しているのを知らなかった』」と述べているのを読んでいるはずです。これは、先後関係を考えるのに重要な証言でしょう。
また、後藤鉄男を偲んだ原治による追悼論文には、原が指摘した南部先生の公演での問題-負の確率から、後藤鉄男がいかにしてラグランジアンにたどり着いたかが書かれています。南部先生自身のキャンセルされた公演には、少なくとも正確なラグランジアンはありません。 不完全な仕事を理論の始まりとするか、完成した仕事を理論の始まりとするかは難しい問題ですが、相対論では完成者アインシュタインのものとされます。普通はそうでしょう。 より問題なのは、記述に対称性が見られないことです。
おそらく、意図的に(後藤鉄男の業績を消す)こういう操作がなされたと考えられます。そうでなければ、赤い毛沢東でしょう。
社会では足跡は残らず、消えてしまいます。wikipediaでも上手く運んでおられた。でも、wikipediaには詳細な足跡が全て残る。大活躍されておられます。NS5-brane大先生の開発された荒らしの一つの手口です。文献を巧妙に利用し、事実を自分の都合の良いように曲げ(NS-brane大先生には美しい)歪んだ世界を築く手口です。皆様方も、見習われると良い。失礼します。 私は、朝永に都合の悪い事実も、事実ですから書きます。そうしないと、事実でない世界を描くことになる。そんな自分に耐えられるはずがない。気持ちの悪い自分に。ただし、情報不足で間違えることはあります。もうすぐ、責任を取り引退しますし。 それから、超電導の3大原理ですが、何かに書いてありましたが、見当たりません。Serval、NS5-brane両大先生のようなことはしないつもりです。 --So222226220196 2012年1月7日 (土) 23:41 (UTC) 中学での講演などは、朝永の発想がどのように形成されたか、どのような発想をしたかについての問題と比べると、重要ではありません。また、中学講演は晩年の事跡として一括することに問題はないと思います。文章がプチプチになっています。 朝永、湯川、坂田の影響の表を本文中に入れましたが、これで良いのかどうか。迷っています。--222.226.220.200 2013年8月5日 (月) 23:10 (UTC) 「歴史上の位置」節久しぶりに記事を見たのですが、「歴史上の位置」節を見て呆れました。執筆者の意見やエッセイでしかないような「脚注」が羅列されており、科学者の業績評価として到底ふさわしいとは思えません。私は科学史や量子力学には詳しくないので改善を図ることができないのですが、これらの分野に詳しい執筆者によって、きちんとした出典の付けられた内容に改善が必要だと考えます。同じ日本人ノーベル賞受賞者という点で、文学の分野には川端康成のような執筆者の主観の入る余地のない素晴らしい記事があるのに、検証可能性という点ではずっと材料が多いはずの科学者の記事がこれではウィキペディアの信頼に傷が付きます。--Unamu(会話) 2018年4月15日 (日) 01:12 (UTC) (こちらにあったIPユーザーさんによる投稿は荒らし・目的外利用として除去しました:2022年7月8日 (金) 22:46 (UTC))
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