ノガロ
ノガロ (Nogaro、ガスコーニュ語:Nogaròu)は、フランス、オクシタニー地域圏、ジェール県のコミューン。 地理コンドンの南西45kmのところにある。ミドゥール川、イゾテ川、ミドゥーザン川に面する。ノガロは低アルマニャック地方に分類される。 由来Nogaroとは、『クルミの町』を意味するNugaroliumに由来する。 歴史ノガロは、オーシュ大司教区の治外法権区域(fr:Sauveté)であった。オーシュ大司教オスタンドは、1055年にノガロをアルマニャック伯の臣下から領地として購入した。翌年に教会が建てられ、そこで教会会議が開催されている。 1050年以降、ノガロの治外法権区域は、商人たち(ワインのネゴシアンたち)が通行料を払わねばならなかった。町はオーシュ-トゥールーズ間、バイヨンヌやオーズとつながる道路の交差点で、どんな市でも町の外からの商品を見つけることができた。サリー・ド・ベアルンからの塩、大西洋岸からのニシン、サケ、チョウザメ、ピレネー山脈を越えてやってきた布、鉄、チーズ、南部から届いた油、オリーブ、イチジク、コショウ、ショウガ、琥珀、そして地元で生産されるテーブルウェア、油、木の実、コムギ、そしてワインであった。1219年に住民たちは自分たちの税関を持っていた。 低アルマニャック地方第一の封建都市および宗教都市として、1061年から1315年にかけてノガロでは7度の州教会会議が開催された。その宗教的な名声は1250年のコルドリエ会修道会の設立によって確認された。 16世紀にノガロは神学校を持っていたが、1569年にユグノーのモンゴムリ伯一派によって破壊された。教会は略奪にあい、柱は引き倒され、保管庫は荒らされ、家具が持ち出された。 町は17世紀に内戦の荒廃から復活した。1620年、カプチン会派修道院が設立された。しかし、1668年2月12日に発生した地震によって、修道院付属教会は崩壊した。 1829年、ノガロはブイとユルゴスの2つのコミューンと統合した。1893年、ユルゴスが再び分離し独立したコミューンとなった[2]。 巡礼路ノガロは、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のポディエンシス道上にある(マンシエとバルセロンヌ=デュ=ジェールの間)。 ジャカイル(Jacayles)と呼ばれる古い道がノガロのメイン・ストリートに通じており、どの住宅も(ナバーラのプエンテ・ラ・レイナのように)細長く非常に幅が狭い。 人口統計
参照元:1999年までEHESS[3]、2004年以降INSEE[4][5] 史跡・行事
姉妹都市
脚注 |