プエンテ・ラ・レイナ
プエンテ・ラ・レイナ(カスティーリャ語:Puente la Reina、バスク語:Gares)は、スペインのナバーラ州のムニシピオ(基礎自治体)。プエンテ・ラ・レイナは混合地域(カスティーリャ語とバスク語)に属する[2]。 由来プエンテ・ラ・レイナ(王妃の橋)という名は、アルガ川に架かるロマネスク様式の橋に由来する。11世紀にナバーラ王妃(サンチョ3世妃ムニアドナ、またはガルシア3世妃エステファニアともいわれる)が橋の建設を命じたという伝承が残る[3]。 概要サンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かうサンティアゴの巡礼路の途上にある。ピレネー山脈のソンポール峠を越え、ハカ、サングエサを経由するルートと、ロンセスバーリェス峠を越え、パンプローナを経由するルートがプエンテ・ラ・レイナで合流する。合流後は西進してエステーリャへと向かう。 11世紀後半、パンプローナ王とカスティーリャ伯が共通の敵であるアラブ人とこの地で争った。アラゴン王アルフォンソ1世はプエンテ・ラ・レイナにフエロ(自治体特権)を与え、アルガ川右岸にフランス人たちが入植した。アルフォンソ1世は町をテンプル騎士団へ与えた。12世紀のフランス人僧エメリック・ピコーは、巡礼の際の記録を残し、その中でプエンテ・ラ・レイナのことを記している。第一次カルリスタ戦争においてドン・カルロス支持にまわったプエンテ・ラ・レイナ周辺では、数度の戦闘が行われた。 プエンテ・ラ・レイナを含むバルディサルベ地方は、ナバーラ中部にあり、地勢的にも文化的にもピレネーとナバーラの境界にあたる。19世紀に入るまで、地方全体でバスク語が話されていたが、鉄道建設で外国人労働者が流入したために20世紀初頭にバスク語は話されなくなった。 人口
脚注
関連項目
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