ヌーオロ県
ヌーオロ県(ヌーオロけん、イタリア語: Provincia di Nuoro)は、イタリア共和国サルデーニャ自治州に属する県の一つ。県都はヌーオロ(ヌオロ)。 2016年9月現在、サルデーニャ州では県級行政区画統廃合のプロセスが進められており、地方自治上は過渡期にある。2016年、ヌーオロ県は旧オリアストラ県を編入した。 名称標準イタリア語以外の言語では以下の名称を持つ。
地理位置・広がりサルデーニャ島の中央部から北東方向に延びる形状を持つ県である。県の北東部では東にティレニア海に面する。 県都ヌーオロは県中央部の内陸に位置する都市である。トルトリから西北西へ約52km、オルビアから南南西へ約69km、オリアストラから北西へ約78km、サッサリから南東へ約79km、州都カリャリから北へ約123kmの距離にある。 隣接する県は以下の通り。
地勢オリアストラ県との境界にあるジェンナルゲントゥ山 (Gennargentu) (1,834m)は、サルデーニャ島の最高峰である。 主要な都市2001年に行われた居住地区(Località abitata)別人口統計[2]によれば、人口5000人以上の都市・集落は以下の通り。( )内は所属自治体名を示すが、都市・集落名と同一の場合は省いた。 歴史ヌーオロ地域における人類の定住は紀元前3千年紀にさかのぼり、Domus de Janasと呼ばれる墳墓の跡が残されている。 30以上のヌラーゲ遺跡があることから、ヌーオロ地域はヌラーゲ文化(サルデーニャに紀元前1500年頃から紀元前250年頃まで栄えた文化)の中心地であったと考えられている。たとえば、ヌーオロ郊外のタンカ・マンナ(Tanca Manna)には、800戸ほどからなる集落遺跡が見つかっている。 ヌーオロ地域には、カラリス(カリャリ)とウルビア(オルビア)を結ぶローマ街道が通過していた。ローマ人による支配の痕跡は、サルデーニャ語の中にさまざまに残されており、今日もヌーオロで話されている。サルデーニャ語ヌーオロ方言 (Logudorese dialect) は、ロマンス諸語の中でも最も保守的な言語と見なされている。 西ローマ帝国の崩壊後、サルデーニャははじめヴァンダル人の、次いで東ローマ帝国の支配下に入った。ローマ教皇グレゴリウス1世(在位: 590年 - 604年)の書簡によれば、サルデーニャ島の内陸部では、ローマ化・キリスト教化された文化と異教徒の文化が共存していたという。東ローマ帝国の支配力が弱体化すると、サルデーニャ島ではジュディカーティたちが登場した。 行政区画としてのヌーオロ県は、1927年に発足した。2001年7月12日の州法第9条によって、サルデーニャ自治州の県の再編が行われた。これに際して、ヌーオロ県のコムーネが以下の県に移動した。
行政区画ヌーオロ県には、55のコムーネが属する。主要なコムーネ(上位10位)は下表の通り。左端の数字はISTATコードを示す。人口は2011年1月1日現在[1]。
文化・観光ジェンナルゲントゥ国立公園 (Gennargentu National Park) がある。 人物著名な出身者
脚注
外部リンク |